2020年、米国で最も権威ある文学賞とされる全米図書賞(翻訳部門)に福島県在住の作家、柳美里さんの「JR上野駅公園口」が選ばれました。作中には、福島を代表する祭事である相馬野馬追が登場します。どんな行事なのでしょうか。
同作では「相馬では、畑仕事でも家の改修でも借金の返済でもなんでも『野馬追までに』と言い、野馬追勘定という言葉があるくらい、野馬追を一年の節目にしている」と紹介されています。その起源は鎌倉時代にまで遡ります。
相馬家の遠い祖先である平将門が下総の国(現:千葉県)で捕らえた野馬を御神馬として神前に奉納したことや放った馬を敵とみなして馬術や駆け引きなどの軍事演習をしたことが始まりと言われています。940年に将門公が亡くなり、数年間は野馬追が行われなかったといわれています。しかし、相馬家初代当主・相馬師常公が養子になり家督を継いだことで野馬追は再開されました。1323年に第6代当主・相馬重胤公が下総から陸奥国行方郡(現:福島県南相馬市)に移り、あらたな領地で野馬追が続けられたといわれています。
筆者は先月25日、野馬追に参加する「お行列」にお神輿役の一員として参加しました。この役割は8人程度で台車のついたお神輿を担ぎ会場となる雲雀ヶ原祭場(ひばりがはらさいじょう)まで進みます。甲冑を身に着けた総勢400騎にも及ぶ騎馬武者が街中を歩き、交通規制もされる大規模な祭典です。朝9時半に集合場所を出発し、伝統的な掛け声ともに武者を乗せた馬が約3キロ離れた会場に向かいます。
会場では様々な神事が営まれますが、その中でも大きな注目を集めるものは「神旗争奪戦」です。上空150メートルに打ち上げられた花火から降りてくる御神旗を、数百騎の騎馬が奪い合うというもの。ほら貝の合図で一斉に旗に向かい、身体をぶつけ合いながら奪い合う勇壮な姿に目を奪われました。筆者は見ることができなかったのですが、最終日には野馬懸が催されました。白鉢巻と白装束の人々が敷地に放たれた馬を素手で捕らえて神前に奉納する行事で、当初の祭事の名残をとどめた唯一の神事ともいわれています。
今年の相馬野馬追では女性の参加規定が改正されました。昨年までは20歳未満の未婚の女性のみ参加が認められていましたが、今年は条件が撤廃されました。5月25日付の朝日新聞デジタルでは「男女平等や出場者数の確保の視点から条件の撤廃を求める意見が出て、今年2月の開催団体の総会で撤廃が決まった。1984年に参加条件が明文化されてから初めての変更になる」と説明されています。ちなみに神旗争奪戦で旗を勝ち取った騎手は、この変更で出場可能になった女性の騎馬武者でした。
相馬野馬追は震災やコロナ禍も乗り越え受け継がれています。震災時には原発事故の影響により祭場が緊急時避難準備区域、相馬小高神社は警戒区域に指定されたため規模の縮小を余儀なくされました。南相馬市の震災前の人口は約7万1000人でしたが、現在は約5万5000人に減っています。今年も多くの観光客が会場に来ていましたが、地元の人は「震災前は歩道に溢れるくらいの人が観覧していた」といいます。また、コロナ渦の2021年には、緊急事態宣言がでていたこともあり甲冑姿の武者が会場を駆け抜けゴールを目指す甲冑競馬や神旗争奪戦は観客の上限を5000人にするなどの対策も講じて開催されました。
行事に参加して、早朝の準備や会場での行事の進行など多くの人がこの祭事を支えていることを実感しました。1000年以上途絶えることなく続いた相馬野馬追にかける人々の強い思いの一端に触れることができました。
参考文献:
読売新聞オンライン 2025年5月24日付 20歳以上の女性8人出場予定「相馬野馬追」始まる…「緊張が馬に伝わらないように頑張る」
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250524-OYT1T50072/
読売新聞オンライン 2025年5月24日付 相馬野馬追の馬、常磐線の列車と接触して死ぬ…側溝に足とられ人を落として線路内に
https://www.yomiuri.co.jp/national/20250524-OYT1T50096/
日経電子版 2025年5月25日 相馬野馬追、女性武者活躍に観客沸く 今年から出場条件撤廃
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD251TJ0V20C25A5000000/
朝日新聞デジタル 2025年5月26日付 「女性は未婚で20歳未満」やめた伝統行事、涙こぼれた観客は拍手
https://www.asahi.com/articles/AST5T3VQBT5TUGTB00CM.html
参考資料:
相馬野馬追ホームページ