“I don’t speak English.” と言わないために 英語学習の必要性

アメリカのトランプ大統領は、世界屈指の名門校ハーバード大学への留学生受け入れ停止を発表しました。6月6日付読売新聞朝刊は、同大学を見せしめとしたうえで、多様性重視や積極的な留学生受け入れ支援を行う一流私大、アイビーリーグ各校に対しても圧力を強めていると報じました。このような政策で、トランプ政権は国家安全保障と自国の経済的成長を目指しているのでしょう。

 

しかし、そんな大統領の思惑とは対照的に、様々な技術の誕生と発展に伴い、グローバル化はますます加速しています。日本においては、外国人観光客数が2024年は約3600万人と過去最高を記録しています。オーバーツーリズムなどの問題から目をそらすことはできませんが、彼らの存在が京都をはじめとする多くの都市経済を支えている事も忘れてはなりません。

 

外国人がより身近となりつつある今日、英語を学習することの意味はますます大きなものになってきています。外国人に話しかけられたとき、

I don’t speak English, sorry. 私英語話せないの、ごめんなさい。

などと言って彼らの前から逃げるように去っていませんか。もしくは、話しかけられないよう顔を下に向けて歩くなど努力をしていませんか。

 

以前、情報番組を見ていると、インタビューを受けた外国人が「日本人は英語が通じず困った」と話していました。世界の共通言語である英語は、他国の人々との交流や案内表示の基本となっています。ですが、日本はこのような認識に至っていないのが現状でしょう。

 

それでも、2020年度から小学校での英語必修化が始まったのだから、英語学習は促進されているのではないか、なぜわざわざその重要性を考必要がえ直すがあるのかと思う方もいらっしゃるでしょう。今回、英語学習を取り上げたのは、筆者が他文化に触れるという経験をし、その重要性について再確認したからです。

 

筆者は、京都にある飲食店でアルバイトをしており、来店する客の3割程度は外国の方です。スムーズな注文や商品の提供を考えると、時間と正確さに不安が残る翻訳機による対応は望ましくありません。実際、店に置かれている翻訳機を使用したことはなく、社員の方も使わない方がスムーズだとおっしゃっていました。円滑なコミュニケーションという点において、英語学習は必要です。

 

さらに異文化を学べる重要性を強調したいと考えます。先日、筆者がレジ対応をした外国人客はお釣りを受け取りませんでした。そのお釣りを指さし、お釣りはスタッフへのチップでということでした。諸外国では一般的な習慣として認識されているチップですが、日本では教科書で学ぶものという程度です。それが生きた文化であることは、このような経験がなければ学ぶことはできません。

 

現行の一対多で、リーディングやライティングを重視する、いわゆるテストのための学習では、本当の意味での英語を学ぶことはできません。実際の社会生活において活用できる力として、習得するべきものです。英語に苦手意識を持たないような授業にするため、民間企業が学校教育の現場に積極的に参加することは望ましいでしょう。

 

米国での受け入れを拒否された留学生を支援しようと、日本の大学も名乗りを上げています。しかし、高い教養を備える留学生を支えるだけの英語教育が日本人学生や大学自体にできているのか疑問は拭えません。グローバル化が進む国際社会の中で、日本はどのような姿勢を示して行くのか、そして、そのためには何が必要となるのか、考えていく必要があるでしょう。

 

参考記事

5月28日付 読売新聞 夕刊 (大阪4版) 3面 「ハーバードと契約解消」

6月6日付  読売新聞 朝刊 (大阪13版) 3面 「民主の牙城 留学制限」

 

参考資料

国土交通省 観光庁

https://www.mlit.go.jp/kankocho/tokei_hakusyo/shutsunyukokushasu.html