ローマと長崎のつながり

4度のコンクラーベを経て、アメリカ出身のロバート・フランシス・プレボスト枢機卿が投票総数133票の8割に当たる105票を獲得し教皇に選任されました。ローマ教皇はカトリック教会のトップで全世界に14億人いる信者の代表です。また、人口800人のバチカン市国の元首でもあります。5月9日付の各社夕刊では、トップ記事に採用され、非常に大きなニュースであったことが伺えます。

2月、筆者は長崎を訪れました。この地はローマ、バチカンと深いゆかりのある地です。新教皇が誕生した機会に、このことを考えてみました。

日本にキリスト教が伝えられたのは、イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸した1549年に遡ります。徳川家康がキリスト教に寛容であったときは、数多くの教会があり、「長崎は日本の小ローマなり」と呼ばれていました。しかし、1612年に禁教令が出され、宣教師は国外追放、日本に潜入する宣教師は処刑されました。34年以降、西洋との交流は長崎の出島に限られました。

長崎などには禁教下で信仰を貫いてきた「潜伏キリシタン」も存在しました。ごく普通に生活しながら、ひそかにキリスト教由来の信仰を続けようとしてきたのです。以下の写真にもあるように、ハサミにも密かに十字架が刻まれ、篤い信仰心が伝わってきます。信仰の自由が厳しく制限された過去がありました。自由とは何か、考えさせられます。


刃を閉じると十字架が現れる
南島原市 原城跡にて 2025年2月18日筆者撮影

その隠れキリシタンが姿を現した物語はキリスト教世界に大きな衝撃を与えたと伝わります。1964年、長崎の外国人居留地に「大浦天主堂」が建てられました。その1ヶ月後、天主堂を訪れたひとりの女性がプチジャン神父に信仰を告白します。250年以上も密かに信仰を守り続けた日本人がいたことは、宗教の強さを伝えるものと言えるでしょう

大浦天主堂は、信仰の自由を獲得する苦難の歴史を今に伝えています。2018年、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」がユネスコの世界文化遺産に登録され、大浦天主堂もその構成資産の一つとして認定されたのは言うまでもありません。

大浦天主堂 2025年2月16日筆者撮影

長崎はカトリック信仰が強い地域であり、信者は6万人を超えます。信徒数は全国16教区の中で東京教区に次ぐ2番目ですが、人口に占める割合は全国一とされます。

前ローマ教皇フランシスコは2019年、長崎を訪れ、禁教下で迫害された犠牲者と原爆の犠牲者を追悼しました。信仰を貫いてきた「隠れキリシタン」の信徒や末裔も教皇の長崎訪問を歓迎しました。

長崎は、美味しい食ばかりです。新鮮な魚介類、ちゃんぽん、カステラなど、ご当地グルメもたくさんあります。歴史・文化のみならず、ユネスコ世界ジオパークにも指定されている雄大な自然、温泉を満喫できます。


筆者撮影

異国情緒溢れる街、長崎、おすすめです。島原半島のスーパーマーケットで購入したわかめは絶品で家族にも好評だったことは忘れられません。今後も日本、そして世界の文化や魅力をお伝えしていきます。

 

参考記事

2025年5月9日各社夕刊1面「新教皇選出」関連記事

2025年5月14日 日経電子版、「長崎・大浦天主堂で信徒発見150周年のミサ」https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG17H4K_X10C15A3CC0000/

 

参考資料

国土交通省、https://www.mlit.go.jp/tagengo-db/common/001553813.pdf
長崎市公式観光サイト、https://www.at-nagasaki.jp/education/article/learning/history
長崎県、https://www.pref.nagasaki.jp/bunkadb/index.php/view/182