風化していく記憶

「あれ、終戦記念日っていつだっけ」

新聞受けをのぞき込んで、思わずそうつぶやいてしまいました。我が家に届いている三紙のうち、一面で戦争の話題を大きく取り上げているのは一紙だけ。残る二紙はリオデジャネイロオリンピックや訪日観光客の増加、などの記事で埋まっています。

 

本日8月15日は終戦記念日です。正午前から全国戦没者追悼式が始まり、正午から一分間の黙祷が行われました。昨年は戦後70年目だったこともあり、様々なメディアで戦争の話題が大きく取り上げられていました。今年は対照的で、「戦争が忘れられかけているのでは・・・」という印象さえ受けてしまいます。新聞を開いて戦争の話題を見つけ、少し安心しましたが。

どの新聞でも取り上げられていたのが、戦争体験の語り部集団の高齢化という問題です。戦争の悲惨さは、私たちの世代では想像するしかありません。より現実に近いものとして認識させてくれる語り部の方々も高齢化が進み、団体の解散が相次いでいるといいます。このままでは、実際に戦争を体験した人の話を聞く機会が減っていくばかりです。彼らの証言を記録し、保存する取り組みも行われてはいますが、個人情報の保護や遺族への配慮から、公開はほとんどされていないようです。

筆者の親戚でも、戦争に行った、あるいは戦争を知る人が今年に入って相次いで亡くなりました。もっと話を聞いておけば、と悔やむばかりです。いなくなってしまってからでは、どうすることもできません。

 

さらに不安をかき立てる話題もありました。防衛省が2015年に始めた「安全保障技術研究推進制度」です。安全保障へ応用できる研究に資金を出す、というもので、運営費や補助金を減らされ、研究費不足にあえぐ大学にとっては、思わずすがりつきたくなるような話でしょう。研究費ほしさに軍事研究を始める研究者がいてもおかしくはありません。

日本学術会議は戦時中の軍事協力を反省し、軍事目的の科学研究を否定してきましたが、5月、「安全保障と学術に関する検討委員会」を設置し、軍事研究が学術に与える影響について議論を始めた、と今日の朝刊は伝えています。どのような結論が出るのかわかりませんが、もしも軍事研究を推進するような方針転換がなされたら、と思うと背筋が寒くなります。また戦前と同じ道を進んでいくのではないか、そんな不安を覚えます。

 

戦争の記憶が風化している、そう感じざるを得ません。世代が入れ替わったからといって、同じ過ちを繰り返してはなりません。そうならないために何ができるのか、考えていくときです。

 

参考:15日付 各紙朝刊 終戦後71年 関連記事

同日付 朝日新聞朝刊 地方面(京都) 「軍事と科学 大学苦悩」

同日付 日本経済新聞朝刊 社会面 「軍事両用研究 揺れる科学者」