足元に刻まれた祈り まもなく阪神・淡路大震災から30年

先日、神戸南京町から元町商店街にかけて歩いていると、ふと足元に視線がいきました。赤みがかったレンガの一つひとつに、メッセージが書かれていたのです。「希望」、「甦れ!わが街神戸」、「苦難を踏み越えて 希望に向って歩もう」。

後から調べて分かったことですが、これは「神戸レンガプロジェクト」というものでした。1995年の阪神・淡路大震災で、元町商店街も大きな被害を受けました。震災で壊れた道を復興の象徴として、被災者への思いを込めたメッセージが焼き付けられたレンガで埋めるという取り組みです。神戸ゆかりの著名人も多く参加していました。

元町商店街のレンガ(11月3日、筆者撮影)

来年の1月17日で震災から30年になります。

筆者は小学4年生のときに、兵庫県出身の担任の先生から阪神・淡路大震災の話を聞く機会がありました。「先生と妹が寝ていた部屋にあったタンスが倒れてきたが、とっさに毛布と布団を被ったため助かった。布団がなければどうなっていたか分からない」という言葉は、10年近くたった今でも強く印象に残っています。

神戸に比べたら被害が少なかったのですが、当時大阪に住んでいた筆者の母も震災を経験していました。今回この記事を書くにあたり、改めて詳しく話を聞くことにしました。母は、「地震発生時には最初に“ドン!”と突き上げる大きな揺れがあり、その後激しく揺れた」と言います。そして、テレビで阪神高速道路が横倒しになっている映像を見て、ようやく神戸がどれほど深刻な状況にあるのかを知り、「えらい(大変な)ことになっている」と衝撃を受けたそうです。母の同級生の中には、家が全壊し、大切にしていたCDや思い出の品をすべて失った人もいました。また、2階建ての家で2階がそのまま1階に落ちてしまったという友人もいると話していました。

阪神・淡路大震災は、大都市を襲った戦後初の直下型地震で、震度7が観測されたのも日本では初めてのことでした。被災地には全国から多くのボランティアが駆けつけ、救援物資の受け入れや、がれきの撤去作業などに尽力しました。読売新聞によると、震災発生から1年間で集まったボランティアは約138万人に上り、1995年は「ボランティア元年」と呼ばれるようになりました。筆者の母のいとこも当時大学生で、被災地に足を運び、復興支援に力を尽くしたそうです。

私が訪れた南京町は、今や観光地として賑わい、多くの人で溢れ、店先には長い行列ができていました。神戸の街を見ても、一見震災の面影は感じられないように映ります。しかし、震災から30年という節目を迎え、私たちはその歴史を振り返り、次の世代にどう伝えていくべきかを考える時が来ているのではないでしょうか。元町商店街の足元に残るメッセージは、震災の記憶とともに、当時の人々が願った復興の希望を静かに、けれど確かに今へと伝え続けています。

 

参考記事:

朝日新聞デジタル「親子3人、やっと一緒になれた 阪神・淡路大震災の犠牲者の銘板追加 」

 

参考資料:

読売新聞「あの日の記憶1.17 ーデータが語る阪神大震災ー

神戸アーカイブ写真館「元町商店街一番街【メッセージ煉瓦】」