大学4年生が近づき、卒業論文(卒論)の作成に向けて準備を始める時期が迫ってきました。私は9月から、卒論作成に必要な資料や文献を集め始めています。10月からはゼミで毎週論文を読みながら、先行研究の概要をまとめています。卒論のテーマはまだ決まっていませんが、先行研究を進める中で方向性を見つけていきたいと考えています。
卒論の書き方には十分注意が必要だと思います。12月10日付の日経新聞では、日本の研究不正問題が取り上げられていました。2014年のSTAP細胞を巡る騒動から10年が経った今も、不正行為の件数は減少しておらず、「量」を優先する風潮が問題視されています。この背景には、研究資金を獲得するために論文の本数を増やす必要があることや、不正行為を十分に監視できていない体制の問題があるとされています。
2月11日付の同紙の記事では、評価基準を量から「質」へシフトすべきだという提言がなされていました。質を重視することは、科学への貢献度を高めるだけでなく、不正行為の防止にも繋がると考えられています。
私は、最も大切なのは「研究への想い」だと考えています。これまでに、大学の先輩方の卒論を読んだり、卒業生と直接話をしたりする中で、彼らが注いだ努力や情熱に触れ、そのたび研究に真摯に向き合う姿勢の重要性を実感しました。
ある先輩の卒論の「あとがき」には、実験が思い通りに進まない状況に直面しながらも、何度も試行錯誤を重ね、最終的に成果を出せた喜びが綴られていました。また、卒業生の一人は「卒論のテーマやデータに対して愛着が湧き、研究への興味がより深まった」と語っていました。論文を完成させる過程で得られる達成感や喜びは、研究への強い想いがあってこそ生まれるものでしょう。強い想いがあれば、資金獲得のために不正や捏造をはたらく気持ちは薄れるのではないでしょうか。
研究は単なる「作業」ではありません。自分のテーマに情熱を注ぎ、結果に向けて努力するプロセスそのものが意義深いものであると思います。そのため、私も研究においては「量」を追い求めるのではなく、「質」を最優先にすべきと考えます。それにより学びが深まり、社会により良い影響をもたらすと思います。
現在では、AIによって論文を量産することも可能な状況ですが、だからこそ研究の本質を見失わない姿勢が求められます。AIはデータ分析や文献検索など、効率的に作業を進めるための有用なツールである一方、正しく使わなければ信頼性が損なわれるリスクを伴います。AI技術を適切に利用しつつ、研究の意義や目的を見失うことなく、自らの想いや情熱を反映した質の高い成果を追求していくべきではないでしょうか。私も、自分が解決したい問題を明確にし、その研究がどのように社会に役立つのかという意義を深く考えながら論文執筆に取り組みたいと考えています。
参考記事:
2月11日 日経電子版「「STAP細胞」不正から10年 研究評価、数より質を」
12月10日 日経電子版「STAP細胞事件10年、日本の研究不正減らず 功焦る研究者」
12月14日 日経電子版「発明は狙ってできる? 科学は試行錯誤、予期せぬ発見も」