坐禅そのものを目的に 考え事から抜け出す時間とは

「坐禅(座禅)」

先日、近所のお寺で初心者向けの坐禅体験会に参加してきました。11月16日には末永さんが『坐禅のすすめ』をアップしています。偶然ですが、私も同じころに禅の世界に挑戦していたことになります。

筆者の坐禅に対するイメージは、心身の統一や足の痺れ、上手くできなかったら棒で肩を叩かれるというようなものでした。しかし実際に体験し坐禅の目的や作法に触れ、これらは表面的な理解に過ぎなかったことを実感しました。

 

そもそも座禅とは、姿勢を正して座り、精神を統一させることで自分と向き合う仏教の修行方法のことを言います。お坊さんだけの厳しい修行ではありません。また、椅子に座った状態で行う椅子坐禅というやり方もあります。

坐禅と似たようなものとして瞑想がありますが、両者は全く別です。坐禅では考え事から抜け出すことが求められますが、瞑想は一つの物事について深く考えを巡らせるからです。

 

筆者の訪れたお寺では、30分ほど坐禅の仕方について説明があったのち、30分間坐禅を組み、5分ほどのお坊さんからの講話を経て体験会は終了しました。初心者向けの会であったため、坐禅の最中に足が痺れたら姿勢を変えてよく、警策(きょうさく)と呼ばれる法具で肩を打たれることもありません。初めてでも気負わずに参加することができました。

教えていただいた坐禅の作法はいくつかありますが、筆者が驚いたのは姿勢です。下半身は決まった形があるのに対して、上半身はそれぞれの参加者が力を抜いてリラックスできる姿勢を取れるのです。

 

ここからは、実際に体験会で教わった姿勢について紹介します。

 

下半身は半跏趺坐(はんかふざ)、結跏趺坐(けっかふざ)と呼ばれる足の組み方をし、両方とも両膝とおしりの三点で体重を支えます。前者は右の足を左の腿の上にのせるのに対し、後者はさらに左の足を右の腿の上にのせます。2通りのうち、やり易い方を選べます。筆者は体が硬いため、半跏趺坐をするので精一杯でした。

手は拳を上に向け、両手の親指の先が軽く触れあうように組みます。これは、「法界定印」と呼ばれます。

下半身と手の置き場所が定まったら、上半身の姿勢も調えていきます。最初に、肩をあげながら大きく深呼吸をしたら(欠気一息/かんきいっそく)、肩をすとんと落とします。これによって、心と身体のこわばりをほぐすそうです。

 

次に上半身を左右に動かし、中心となる位置を見極めます(左右揺振/さゆうようしん)。このとき、周りから見たよい姿勢ではなく、自分がリラックスできる姿勢を取ることが大切だと教わりました。

姿勢を調えたら坐禅のはじまりを示す鐘が3回鳴ります。座禅中は様々な思いにとらわれず、考え事をせずに身体と息を調えて坐ることとされています。

なお、坐禅において大切なことは、以下の3つです。

  • 調身(ちょうしん):姿勢を調える
  • 調息(ちょうそく):呼吸を調える
  • 調心(ちょうしん):すると自然に心も調う

 

筆者は30分間の坐禅中、足の痺れが気になったり残り時間を考えてしまったりと、あまり集中できていませんでした。せっかく参加したのに中途半端に終わってしまったと残念に思っていたところ、お坊さんからあるお言葉をいただきます。

「坐禅そのものが目的であってほしい」。坐禅を組むことによって何かを得ることが目的になるのではなく、坐禅という行いそのものが目的であってほしいという意味でした。

筆者がその域に達するのはまだまだ遠そうですが、欲張りすぎず、焦りすぎず、坐禅そのものに真摯に向き合ってみたいと思っています。みなさんも坐禅に触れてみてはいかがでしょうか。

 

【参考記事】

2024年9月17日朝日新聞デジタル『(美の履歴書:865)「墨蹟 坐禅語」「墨蹟 法語」 虎関師錬 師から弟子へ、伝えた心は』

坐禅の作法 | 曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ

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