ありのままを受け入れて 自分に焦点を当てる自己肯定感の考え方とは

最近、耳にすることの増えた「自己肯定感」という言葉。私が中学生の頃には、「自己尊厳」と言われていたような気がします。文字通り、自分のことを肯定してあげる感情、または自分のことを受け入れることを指します。私は「自己肯定感が低い」と言われることがあり、そのことを多少とも自覚しています。あまり自信がなく、起こる可能性が低いことでも、勝手に想像して心配してしまうことが少なくないからです。

しかし、この「自己肯定感をあげることが大事」と言われている世間の風潮に、最初のころは疑問を抱きました。意味として「ナルシスト」という言葉と似ているように思ったからです。

小学校の頃のことでした。今でも鮮明に覚えているのですが、自分に自信を持っていて、自分のことが好きな子が、周囲からナルシストだと言われて敬遠されていたことがありました。クラスメートと話していても、「『自分のことを好きだ』というのはおかしくて、『自分のことが嫌い』というのが正しい」というようなことをよく聞きました。当時、私は自分自身のことをなんとも思っていませんでしたが、このことを機に、「自分=嫌い」にならなきゃいけないんだ、と思うようになり、そうなれるように必死でした。

これが間違いだとも知らず、中学、高校と進学していく中で、「自分=嫌い」というものが、理屈の上だけではなく、実際に自分の気持ちにも反映されていくようになりました。他人と比べて、劣っている自分が嫌い、思った以上にうまくいかないことが多い自分が嫌。他者との差に苦しみ、本格的に自己嫌悪に陥ることもしばしばありました。

「これが正しいというのなら、なんにもいいことはないな」。少しずつこの考え方がおかしいことに気づき始めました。しかし、「こうすることが正しいんだよ」ということを知りません。いったん自己嫌悪に陥った自分を好きになろうとしても、なかなか難しく、そのうえ「ナルシスト」といわれることが怖いこともあり、この状況から抜け出せずにいました。

「自己肯定感」という言葉が定着した今、私は少しずつ、自己嫌悪という呪いから解き放たれたいと思うようになりました。自己肯定感は他人よりも自分のことを重視することで生まれるものです。他者と比べるのではなく、あくまで焦点は自分。できない自分が嫌だ、と嫌いになるのではなく、できないのも「自分だ!」と受け入れられることが求められるようになってきます。

 自己肯定感をあげるために、最近は、「自分は何が好きなのか」を模索するようになりました。芸能人のエッセイを読むのが好き、手帳を書くのが好き、一人旅が好き。まもなく社会人の仲間入りをします。自分が幸せだ、嬉しい、楽しいと思えるような生活をしていきたいものです。

<参考記事>

5日付 日経MJ「私『かわいい』『大好き』 自己肯定ソングは心のサプリ」

<https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUC19BB10Z10C24A9000000/>

最終閲覧 2024/11/05