事件報道におけるメディアの反省と責任

先月26日、静岡地方裁判所は袴田巌氏(88歳)に無罪の判決を言い渡し、今月9日に検察が控訴する権利を放棄したことで袴田氏の無罪が確定しました。事件から58年という非常に長い年月を経て、ようやく袴田氏の疑いが晴れることとなりましたが、長い拘束生活で精神を病むなど、取り返しのつかない多くのものが犠牲となりました。

朝日新聞は10月9日に「朝日新聞の当時の報道、おわびします」という見出しの記事を掲載しました。記事では、事件当時に朝日新聞が袴田氏を犯人視した報道をしていたことに対する謝罪と今後の事件報道に対する姿勢が述べられています。

さらに、事件報道は世の中の関心に応え、より安全な社会の形成に必要だが、事件発生時や逮捕の時点では情報が少なく、捜査当局の情報に頼りがちであるということ、そしてこれまでにも捜査側の情報に依存したことにより、事実関係を誤り、人権を傷つけた経験があるとの反省が述べられていました。

また、今後の事件報道では、推定無罪の原則(刑事裁判で有罪が確定するまでは、罪を犯していない人として扱うこと)を念頭に、捜査当局の情報を断定的に報じない、容疑者や弁護側の主張もできるだけ対等に報じる、否認している場合は目立つよう伝えるなどを社内指針で取り決めているとしています。

メディアは非常に大きな影響力を持つため、一度の報道で1人の人生を大きく左右してしまいます。2度と同じような事態が起こらぬよう、深く反省し、より良い報道に取り組んでいくことが求められます。

筆者は先日、『遺族とマスコミ〜京アニ事件が投げた問い〜』(2020、YTVドキュメント)を視聴しました。

この番組は、2019年に起こった京都アニメーション放火事件の被害者遺族に対するメディアの過度な取材(メディアスクラム)への反省と、被害者遺族への取材のあり方を見つめ直す内容となっていました。

京アニ事件の報道でメディアは、犠牲者の名前を警察が発表した際に示された遺族の意向を無視する形で実名報道を行い、遺族に対して過度な取材をしました。こうした一連の動きを受けて、報道の姿勢が厳しく問われることとなりました。

話題性や社会的な重要性が高い事件でメディアが過度な取材に走った事例は少なくありません。人々に情報を届けることが優先されるあまり、取材相手への配慮が欠けてしまったと筆者は感じています。

現在は、メディアスクラムを防ぐために、現場で協議を行い代表社が取材を行うなどの自助努力がされていたり、メディアスクラムの事後処理として協議機関が設けられていたりといった工夫がなされています。
しかし、報道各社のほとんどが直接取材を原則としているため、代表取材を行うことで自社の記者が撤退させられると「特オチ」になってしまうことから、まだまだ代表取材という形式には消極的だという現状があります。

筆者は、マスコミ業界へのインターンシップを通じて、取材相手に対する配慮がなされるようになり、過去の過ちを繰り返さないために報道の在り方が見直されていると感じました。表現一つで読者や視聴者が受け取る印象は大きく変わります。警察の発表に依存し、捜査する側の主張をそのまま報じることには、大きな危険が伴います。速報性はもちろん重要ですが、しっかりとした裏付けのもとで報道することが最も重要だと筆者は考えます。

我々の生活において、メディアは必要不可欠な存在ですが、その強大な力は使い方を間違えると取り返しのつかない被害を生み出す恐れもあります。過去の過ちを真摯に受け止め、同じような事態を繰り返さないこと、苦境に立たされた人々を傷つけない取材活動を心掛けることを最優先に報道に取り組んでいくべきだと筆者は考えます。

報道が誰かを傷つける矛でなく、誰かを保護する盾となることを願っています。

参考記事
・朝日新聞デジタル 2024/10/8付 朝日新聞の当時の報道、おわびします 袴田巌さん無罪確定へ

・朝日新聞デジタル 2024/10/9付 当時の報道、おわびします ゼネラルエディター兼東京本社編集局長・春日芳晃

・朝日新聞デジタル 2024/10/10付 袴田さん、無罪確定 地検が上訴権放棄 再審判決

・朝日新聞デジタル 2024/10/12付 法相「袴田さんに申し訳ない」
参考文献

・畑中哲雄 『ジャーナリズムの道徳的ジレンマ』(2018、勁草書房)

・『遺族とマスコミ〜京アニ事件が投げかけた問い〜』(2020/10/23放送 YTV)

日本弁護士連合会 裁判員になったら?ー心にとどめておきたいことー