袴田さん無罪確定 再審のあり方と国家による人権侵害

1966年に発生した静岡県一家4人殺害事件で死刑が確定した袴田巌さんに対する再審無罪判決について、検察当局は8日、控訴しない方針を明らかにしました。逮捕から58年を経て、袴田さんの無罪が確定します。死刑が確定した事件で再審無罪となるのは、戦後5件目となります。

死刑執行の恐怖にさらされることは、極めて重大な人権侵害です。袴田さんは長い拘禁生活で精神を病み、意思疎通が難しい状況にあります。また、失った時間は戻ってきません。再審は長期化の傾向があり、袴田さんは再審を開くか決める審理だけで42年も要しました。

冤罪が疑われる場合、迅速に再審を行い、人権が侵害される期間を少しでも短くすることが必要です。本稿では、袴田さんの再審無罪判決から、再審のあり方と国家による人権侵害について考えていきます。

 

◾︎いわゆる「袴田事件」とは

静岡県清水市(現静岡市清水区)で1966年6月30日、味噌製造会社の専務宅が全焼する火事が発生、焼け跡からは刃物でめった刺しにされた一家4人の遺体が発見されました。警察は当初から、味噌工場の従業員であり元プロボクサーであった袴田さんを犯人であると決めつけて捜査し、その後逮捕しました。警察や検察の厳しい取り調べは、袴田さんを自白に追い込みました。しかし、自白内容は日ごとに変わり、動機も二転三転しています。また、当初から犯行着衣とされていたパジャマについても血痕の色やズボンの大きさなど、不自然な点が多数あります。自白調書の大半が無効となったものの、静岡地裁で死刑判決が下されました。最高裁で上告が棄却されたことで、76年12月12日に死刑判決が確定しました。

81年に袴田さんは第1次再審請求を申し立てたものの、特別抗告を受けた最高裁が08年に棄却。直後、弁護団は第2次再審請求を申し立て、14年に静岡地裁が再審開始を決定。同じ日に袴田さんは釈放されました。

法律に詳しくなくても、本事件を知っているという人は少なくないでしょう。筆者も高校生のとき、政治経済の授業で触れたことを覚えています。法学を学んでいる今、刑法や刑事訴訟法、憲法といった大学の講義を通しても、本事件について学びました。

 

◾︎再審のあり方

袴田さんの逮捕から再審無罪の決定まで、気の遠くなる年月がかかりました。長期化が課題となっている再審について、本件を契機に手続きの迅速化を求める議論が加速しそうです。海外では、第三者機関が設置されている国もあります。米国の一部の州は、冤罪の疑いがある事件を再調査する独立組織を検察内に設けています。これ以上冤罪被害者を増やさないために、同様の制度を日本も整備していくべきです。

 

本事件の他にも、冤罪が疑われる凶悪事件はいくつかあります。埼玉県狭山市で63年に女子高生が殺害された「狭山事件」や、福岡県飯塚市で92年に女児2人が殺害された「飯塚事件」などが挙げられます。特に「飯塚事件」は、既に死刑が執行されています。

失われた命と時間は戻ってきません。検察と裁判所には、より慎重で正確な捜査と審理が強く求められています。

 

参考記事:

・10月9日 朝日新聞 朝刊 2面 「検察『妥協』の控訴断念」

・10月9日 朝日新聞 朝刊 25面 「無罪 たどり着いた」

・10月9日 読売新聞 朝刊 1面 「袴田さん無罪確定へ」

・10月9日 読売新聞 朝刊 3面 「検察 苦渋の撤退」

・10月9日 読売新聞 朝刊 31面 「闘い58年『終わった』」

・10月9日 日経新聞 朝刊 1面 「袴田さん 無罪確定へ」

・10月9日 日経新聞 朝刊 34・35面 「『捏造』に抗い半世紀

迫られる捜査検証」

・6月6日 朝日新聞 朝刊 28面 「飯塚事件 再び再審棄却」

 

参考資料:

・日本弁護士連合会「袴田事件」

・袴田事件弁護団「裁判の経過」

 

参考文献:

・三井誠・酒巻匡著『入門 刑事手続法』,第9版,2023年7月15日,有斐閣

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