前回の記事では前編として、①京都インターナショナルスクール(KIS)、②国際バカロレア(IB)、③KISで行っているIB教育、の3点について述べました。
本記事では後編として、①IB教育における教員の在り方とIB教育の抱える課題、②変化する日本で生きる私たちに求められる姿勢について、筆者の考えと共にお伝えしていきます。
前編で、KISの教育内容とその特徴をお伝えしました。筆者は、KISは生徒だけではなく、職員の方にとっても多様な個性が受け入れられる素晴らしい環境だという印象を受けました。
しかし、前編で述べた楽しそうな教育内容の反面、IB教育には問題点もあるそうです。
それは、個々人の学習意欲によって生じる学力の差が大きいということです。これは、IB教育における教員の在り方に由来すると考えられています。
IB教育での教員の役割は、日本とは少し異なります。
まず、日本では、すべての生徒が遅れを取らないようにサポートしながら授業を進めます。到達目標を設定し、一人一人の学習状況の把握と目標達成まで懇切丁寧に支援します。そのため、生徒たちのある程度の学力は確保され、生徒間の学力に大きな差が生じることは少ないと考えられます。
一方で、IB教育における教員は、あくまでも生徒を見守る存在という側面が強く、学習にフォーカスしているわけではありません。日本のように、授業の理解度を確認したり、学習支援に丁寧に取り組んだりといった、学習に対する干渉をあまりしないそうです。
細かい勉強方法の指導や宿題を課すこともないため、生徒は自ら意欲的に学習に取り組む必要があり、学内外問わず、自主的な努力が欠かせません。よって、意欲の有無によって学力のばらつきが大きくなることが懸念点として挙げられます。
多様な個性で溢れ、国際的に活躍する人材が育まれるKISは非常に魅力的な環境を提供しています。しかしその反面、主体性を持って学習に取り組むことができなければ、周りに大きく遅れをとってしまうという危険性も抱えています。
従来の日本の教育と、IB教育とでは、両者それぞれに魅力があるため、お互いの良い面を取り入れながら、子どもたちにとって理想的な環境を整え、育んでいくことが求められるでしょう。
・変化する日本で生きる私たちに、求められる姿勢
前編の冒頭でも述べた通り、今後ますます日本で暮らす外国人の数は増えていくことが見込まれます。
日本という国で外国人と共に生きるために求められることをKISの職員さんに聞いてみました。
すると、「この国の人ってこうだよねといった偏見は相手を知らないから起こる」「百聞は一見に如かず。実際に他者と触れ合い、相手を知ることから理解が始まる」とのことでした。
どこの国にルーツを持つかで判断してしまうのではなく、いかなる相手でも、1人の人間として受け止めていくことが求められているのでしょう。
また、メディアが発信する情報の重要性についても言及されました。
「若者が社会に対してあまり関心を持たなくなっている今、メディアがいかに情報を発信するか、どんな情報を発信するかは非常に重要だと思います」「悩んでいる人がいることを報じること、私たちがどのように変わっていかなければならないかを報じることは非常に意味のあることだと思います」とのことでした。
メディアは、表面的な知識ではなく、広く深い知識を国民に届けることができます。その報道や実際の交流を通して、正しい知識と情報を吸収し、社会全体としての外国人に対する受け皿つまり、相互理解の形成を進めていくことが必要であると筆者は考えます。
【参考文献】
・文部科学省 IB教育推進コンソーシアムIB(国際バカロレア)とは
・ONE WORLD INTERNATIONAL SCHOOL 国際バカロレア(IB)とは?概要・プログラムやメリットなどを解説
【参考記事】
・朝日新聞デジタル 2024/6/19付
「子どもが主体。先生は補助役」 廃校跡地、インター校での学びとは