この島も東京都!?戦争遺跡が多く残る八丈島

東京都・竹芝客船ターミナルから船で約11時間、海水浴場や美しい自然がある八丈島には多くの観光客が訪れます。一方、太平洋戦争時には小笠原諸島が陥落した後の防衛拠点でもありました。その歴史を物語る史跡が島の所々に残されています。

 

島の玄関口である底土港から徒歩で約10分の所には人間魚雷「回天」二号壕跡があります。「回天」は太平洋戦争時の日本軍初の特攻兵器です。本土決戦に備えて沖縄、九州、四国、近畿、そして八丈島に配備されました。島内にある八丈島歴史民俗資料館の方の話によると「基地から海まで魚雷を運ぶためのレールがある」とのことですが、植物が道を埋め尽くしており筆者は確認することができませんでした。ちなみに人間魚雷は靖国神社(千代田区)にある遊就館に展示されており、見学することができます。

人間魚雷「回天」二号壕跡(8月4日、筆者撮影)

 

 

八丈島一周道路(都道215号)を散策すると、南西部に大坂トンネル展望台が見えてきます。見晴らしのよい高台には、直射砲台の跡があります。南側の海岸を米軍の上陸地点と想定していた日本軍が設置したそうです。砲台は撤去されていることは外からでも確認することができます。こちらも植物が生い茂っていました。奥に続く道はふさがれているそうなのですが、元々は裏の出口までつながっていたといいます。中を覗くと照明がない上に落盤している箇所も見ることができました。

大坂トンネル展望台・直射砲台跡(8月3日、筆者撮影)

 

島の南部に位置する東山(三原山)の山中にある、通称「鉄壁山」には陸軍司令部壕跡があります。山の奥地に作られており、壕の中にはいくつもの出入口があるそうです。山道を歩くと出入口だと思われる洞窟が所々にありました。

壕の中には分岐点が何箇所もあり、多くの部屋があるそうです。内部には野戦病院などもあったそうですが、途中、落盤して進めなくなっているところもあるといいます。他にも、棚などに使われていたと思われる木片や瓶、照明器具の「ガイシ」と思われるものが落ちていたという話を聞き、八丈島では戦闘が行われなかったものの、実際に準備され、兵士が生活していたことが実感できました。

鉄壁山・陸軍司令部壕跡(8月6日、筆者撮影)

 

日中戦争から太平洋戦争にかけての資源不足を補うために、1941年8月には金属類回収令が公布されました。国民は鉄や銅、青銅などを供出していたそうです。この法令も関係し、司令部跡の部屋の入り口の断面の写真や資料を見ると鉄筋は使われておらず、コンクリートと坑木だけで作られていました。当時の日本が置かれていた厳しい状況を痛感しました。

 

島内に残されている多くの戦争遺跡のほとんどは立ち入ることが難しく、整備されていないのが現状です。観光地である八丈島でも、戦争を知り学ぶことができます。今年で太平洋戦争終結から79年を迎えますが、戦争遺構の保存活動にも注目が集まってほしいと島を訪れて感じました。

 

参考文献:

朝日新聞デジタル 2021年12月7日付 寺の鐘が便器に…「この戦争は負ける」 戦時下、金属回収の実態

https://www.asahi.com/articles/ASPD56GGFPD5OIPE00G.html

 

参考資料:

八丈島歴史民俗資料館

https://www.town.hachijo.tokyo.jp/kakuka/kyouiku/rekimin.html