生成系AIの利用と著作権保護のバランスを探る

8月に入りました。夏休みに入った学生も多いのではないでしょうか。筆者は対面での期末試験を全て終え、あとは数本のレポート提出を残すのみです。

 

今学期分の履修を組む際、成績評価が教室での期末試験でなされるか、レポート提出の形式を取るかも考慮して選んでいました。しかし、当初はレポートで成績を評価するとしていたものの、授業が開始されてから教室で期末試験を実施することになった講義がありました。

それは、生成系AIの利用を懸念したためでした。

 

筆者が通う中央大学では、『教育課程における「生成系AI」利用上の留意事項』を定め、教員や学生による生成系AIシステムの利用の際の注意事項などを明記しています。ここでは、教員に対し、教材として利用することは妨げないが、利用した場合は履修者に対してその事実を告知しなければいけないとしています。

また、学生については、履修する科目において、道具として用いることは妨げられないが、研究上の秘密に関する情報などを入力してはならないこと、レポートなどの作成で参考資料とすることは差し支えないが、出力した内容そのものを提出してはならないことなどが示されています。

 

確かに、チャットGPTをはじめとする生成系AIの開発と技術の発展が目覚ましい現代社会において、それらの利用を完全に排除することは難しいでしょう。そのため、使い方の面で注意を求めることは合理的だと考えられます。しかし、教員・学生ともに、講義の内容やレポートなどの提出物を見て、生成系AIをそのまま使っているのか、参考資料に留めているかを正しく判断できるのでしょうか。

参考資料とすることは許容されるが、生成系AIを利用して得た内容そのものを提出することは許されないという線引きには、曖昧な面が残ります。

 

生成系AIの利用が懸念されているのは、学術分野のみならず、マンガや記事、音楽、動画など芸術やエンターテインメント分野など多岐にわたります。AIを用いたコンテンツの制作は活発ですが、それによって生まれた作品の扱いが問題となっているからです。

AIを用いてコンテンツを制作するには、膨大な量の学習データの準備とそれらをAIに学習させる作業が必要となります。しかし。AIを用いた作成物の取り扱い方や、参考元となった作品への著作権の侵害にならないかなどの問題がなおざりなまま、技術の発展と活用のみがどんどん進んではいないでしょうか。

 

先日閉鎖された海賊版辞書サイトには、「著作権なんて大嫌い!私はすべての知識は無料であるべきと信じています」という宣言文が掲載されていたそうです。知識は無料であるべきという理念自体には共感できても、知識を集約し時間と労力をかけて作り上げたものまでも、他者が無料で使ってよいという考えは強引過ぎると考えます。

 

私たちの可能性を広げ得る生成系AIを上手に活用しつつも、0から1を生み出す人々の存在と労力を忘れず、作者に対して相応の評価と保護がなされる社会であってほしいと願います。

 

【参考記事】

2024年8月2日付 朝日新聞デジタル『海賊版辞書サイト、閉鎖までの攻防 広辞苑など37データ、運営者「知識は無料」に執着』

2024年7月18日付 朝日新聞デジタル『AI検索による「ただ乗り」に懸念…法的には? 著作権から見ると』

 

【参考資料】

無許諾で辞書データのサービスを提供する中国サイト「Sora」が閉鎖 |一般社団法人コンテンツ海外流通促進機構(CODA)

著作権の基本と海賊版  文化庁

中央大学の教育課程における「生成系AI」利用上の留意事項について Announcement on “Considerations when using Generative AI in the Chuo University Curriculum” 中央大学

島並良他著『著作権法入門[第3版]』、2021年3月31日、有斐閣、p.19-20

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