妖怪の研究で知られる井上円了 東洋大学の歴史を学びました

皆さんは妖怪と聞いて何を思い浮かべますか。筆者は当時小学生の時に流行していたテレビアニメ「妖怪ウォッチ」や夏祭りなどによくあるお化け屋敷を思い浮かべます。しかし皆さんが共通して思い浮かべるような典型的な妖怪というものは無いと思います。広辞苑で妖怪と調べてみたら「人知で不思議と考えられるような現象または異様な物体」と書かれていました。その妖怪研究でも第一人者だった、東洋大学の創設者・井上円了について調べました。

井上円了記念博物館(7月26日、筆者撮影)

円了は安政5年3月18日に現在の新潟県長岡市である越後国三島郡浦村の真宗大谷派寺院・慈光院の長男として生まれました。初め岸丸、その次に襲常、そして明治4年に円了と名乗ります。明治14年に東京大学文学部哲学科に入学し、2年生の時にアーネスト・フェノロサの西洋哲学に強い関心を持ちます。研究を進めていく中で、哲学こそが心理を明らかにする学問と確信します。円了は国家の発展のためには諸学の基礎である哲学の発展が必要と考え、日本における哲学の普及を志しました。

東京都文京区にある東洋大学はこの哲学者・井上円了によって創設された学校です。東大卒業後には自身が考えていた理想の学校を設立すると公言していました。そして円了は公言してからわずか2年という早さで私立学校である哲学館を設立しました。現在の文京区湯島にあるお寺、麟祥院の施設を借りて建てられました。創立半年後には現在のテキストのようなものである『哲学館講義録』を出版し、これを使用して学習できる「館外員制度」を開始しました。こちらの制度には全国からの応募が相次ぎ、翌年には1831名もの生徒がいたといいます。現在、広く普及している通信教育の原点です。

哲学館が創立されてから2年後、自然災害や火災などの災難が相次ぎ、校舎を移転することになりました。そして現在の東洋大学白山キャンパスにいたります。

東洋大学白山キャンパス内にある博物館と銅像(7月26日、筆者撮影)

円了は知りたいと思うことを自分で考えることが大切だといいます。当時、生活と妖怪は密接な関係を持っており、不思議なことが起こると妖怪の仕業と決めつけていました。それがゆえに病気を妖怪のせいにする医者も現れ、死んでしまった人もいました。苦しんでいる大衆を助けたかった円了は全国を周り合理的なものの考え方を広めていきます。円了の考える妖怪は非常に細分化されています。まず、妖怪は虚怪と実怪に分かれています。虚怪というのは人々の虚構や考えの誤りから起こるものです。虚怪の反対とされる実怪は仮怪と呼ばれる自然的妖怪と真怪という超理的妖怪に分かれます。自然的妖怪は現在でもあまり解明されていません。それに対し超理的妖怪は人知を超えたものとされています。本質的な原因が解明されていない自然科学や宇宙のことを指します。

大学は創設者が設立に当たって建学の精神を掲げます。人材育成や教育、研究の基本とした理念のことです。円了が東洋大学を創設する過程や生い立ち、研究内容については東洋大学白山キャンパス内にある井上円了記念博物館で深く知ることができます。大学創設には創設者の強い思いがあることを知り、筆者も自身が通う大学の歴史を調べてみようと思いました。

 

 

参考資料;

東洋大学ホームページ 創立者・井上円了について(https://www.toyo.ac.jp/about/founder/about/)

 

参考記事:

20年1月29日付朝日新聞デジタル 社会人受け入れNo.1 東洋大 夜間部に通う私大生の4分の1が学ぶ(https://www.asahi.com/edua/article/13061484?iref=pc_ss_date_article)