都内に残る唯一の渡し船「矢切の渡し」 渡し船の地域との関わりを考える

東京都葛飾区と千葉県松戸市の境を流れる江戸川を矢切の渡しと呼ばれる渡し船が行き来しています。歌謡曲や小説でも聞く「矢切の渡し」は江戸時代から続いており、徳川幕府の政策により川に橋を架けることができない時代に江戸川の両側に農地を持つ農民が関所を通らず往来したことから始まったといいます。

矢切の渡し入り口、葛飾区(6月27日、筆者撮影)

 

ここに限らず現在も渡し船は生き残っています。茨城県取手市にある小堀の渡し、愛知県豊橋市の牛川の渡船など各地にあります。牛川の渡船は昭和7年から豊橋市営として運営されています。コロナ禍の2022年には人との接触が少ない観光地として注目され、乗船者数が1万人を超えたといいます。この渡し船は市道と同じ扱いのため無料で利用することができ、休日には豊川を散策する人々が短い船の旅を楽しんでいるそうです。

矢切の渡しは都内に残る唯一の渡し船です。個人経営で運賃は片道200円となっています。船頭さんの解説を聞きながら約150メートル、5分程度の乗船となります。松戸市によると、96年は約20万人が利用しており、近年は年間6~7万人が使っているそうです。筆者が訪れたのは平日だったこともあり、それほど混んでいなかったのですが、休日になると観光客で賑わいます。

矢切の渡し入り口、松戸市(6月27日、筆者撮影)

葛飾区は矢切の渡しや柴又帝釈天など、多くの文化資産が町中にあるため「葛飾柴又の文化的景観」として都内では初めて国の重要文化的景観に選定されました。江戸時代には、多摩川だけで39の渡し船があったといいます。橋の架設によって次々と廃止され、大田区に多摩川渡し跡が残っています。また、隅田川が流れる中央区には佃島渡船場跡があり、当時の面影をしのぶことができます。

一方、大阪市には8つの渡し船があり、通勤や通学の人々が日常的に利用しています。日々の生活の足であるとともに、観光地としての人気もあり利用者は年間、約160万人に上るといいます。大阪では江戸時代から民間の渡し船があったのですが、1907年に公営事業に移行されたそうです。背景には明治24年に大阪府が「渡船営業規制」を定めたことがあります。渡船所は大阪市建設局が管理し、歩行者や自転車は無料となっています。

 

橋を架けるのが簡単では無かった時代の名残を伝える渡し船。現在も、限られてはいますが公営や民営の交通機関として残されています。今後、旅行先で大きな川を見つけたら、渡し船の船着き場がないか探してみようと思います。

 

参考文献:

日本経済新聞 2015年     4月11日 (首都圏まるかじり・町を楽しむ歴史ひもとく)矢切の渡し、庶民運び400年 小説・名曲の風情 今も

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO85544660Q5A410C1L83000/

日本経済新聞 2019年11年19日付 大阪市、8つの渡し船健在 今も年160万人利用

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO52309460Y9A111C1AA1P00/

朝日新聞デジタル 2023年4月28日 市道の代わり「牛川の渡し」が人気 11年ぶりに乗船者1万人突破

https://www.asahi.com/articles/ASR4W7K7RR4TOBJB004.html

 

参考資料:

葛飾区観光サイト

https://www.katsushika-kanko.com/guide/scene/96.html