路面電車が渋谷を走っていた時代を知っていますか。今から約60年前の昭和40年、路面電車は人々にとって主流の交通手段でした。電車やバスの路線が蜘蛛の巣のように張り巡らされた渋谷しか知らない筆者にとって、路面電車はまるで現実離れした存在です。当時の様子を知るべく、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館で開催された「写真展 明治通りを走った都電―金子芳夫撮影写真から―」に行ってきました。
(写真展のポスター 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館HPより引用)
渋谷駅から山手線沿いにある「明治通り」を経由し、港区にある金杉橋までを走っていた都電34系統など、計24点の写真が現在と比較する形で展示されています。路面案内図や行き先を示した板、都電廃止を告知する紙などもありました。
(写真の撮影地点の地図 筆者撮影6月22日)
(写真の撮影地点の地図 筆者撮影6月22日)
(左:路面案内図 右:行き先を示した板・都電廃止の告知 筆者撮影6月22日)
筆者が訪れた日は、学芸員の田原光泰さんによる展示の解説がありました。田原さんによると、都電の路線はもともと玉川電気鉄道(玉電)として開通していました。昭和12年に玉電ビル(のちの東急百貨店西館)建設のため、玉電の路線が二つに分けられます。翌年には、分断された東側の路線の経営を東京市に委託しました。昭和23年にその東側路線が都に譲渡され、都電(34系統)として運行されることになりました。
(展示解説を行う田原さん 筆者撮影6月22日)
「写真を1枚ずつ見ると、当時の渋谷の生活感がひしひしと伝わってきます」と話す田原さん。例えば、昭和44年に渋谷駅前の停留所近くを走っていた都電の写真には、路上に紙くずのようなものが落ちていました。当時は場外馬券売場があり、外れた馬券や競馬新聞などを路上に捨てる人がいたそうです。
また、写真には写真館や路面電車の横を走っているバス、乗用車などが写り込んでいました。道路沿いに大きなビルが立ち並び、多くの車が疾走する現在の渋谷からは想像がつきません。田原さんによれば、昭和40年代の街並みの写真は少なく貴重で、「再開発によって町並みが変化する様子を懐かしんだり、新鮮な気持ちになったりしていただければ」と話します。(写真は渋谷文化プロジェクトホームページからご覧ください)
写真を撮影したのは、港区在住の写真愛好家、金子芳夫さんです。幼い頃、家の前を走っていた都電を見るために家を飛び出して両親に怒られた、と笑う金子さんは、中学高校で所属していた写真部で、都電の写真を撮り始めました。以来、都電の写真を200枚以上撮り続けたほか、日本各地の電車に乗りながら切符や列車模型を集めているそうです。金子さんは展示写真を見ながら、「写真の画質が非常に高いことに驚きました。元の作品は証明写真のような小さなものです。それを解像度を落とさず、展示サイズにまで拡大できるとは知りませんでした。技術の進歩を感じます」と話してくれました。
(撮影した写真の前に立つ金子芳夫さん 筆者撮影6月22日)
今回の展示を通じて、昭和の渋谷の生活感や街並みを感じることができたとともに、渋谷を見る目が少し変わった気がします。普段何気なく通り過ぎる場所にも、かつての賑わいや歴史が隠れているのだと感じました。現代の喧騒の中に、過去の面影を見つけるという楽しみができました。
参考記事:
4月23日付 読売新聞「都電走る渋谷 現在と比較 郷土博物館 停留場や車内 写真展示」
参考サイト: