先日、衣替えをするため夏服を探していると、表紙に「二分の一成人式『自分のアルバム』」と書かれた分厚いファイルを見つけました。
「二分の一成人式」とは10歳の節目を祝う小学校4年生の学校行事です。保護者を招き体育館などで合唱を披露したり、10年間の思い出をまとめたりすることが多いようです。文部科学省の学習指導要領に定められているわけではありませんが、全国で少しずつ定着しつつあるイベントのひとつです。
ファイルをペラペラとめくると、「4年生の頃の自分」「10年後の自分」というテーマで書いた作文や、当時の手形、仲良かった友人の寄せ書きなどがそのまま残されていました。当時の出来事や思いのほとんどはもう記憶にないけれど、鉛筆で書かれた等身大の文章は、思い出せない数々が、私を今日の私たらしめているということを痛切に感じさせてくれました。
またアルバムには10年後の自分に向けた質問も残されており、きちんとピアノは続けているか、大学には通っているか、小学校からの友達は何人いるかなどが問われていました。これからまた10年の年月を経て三十路を越えたとき、一体私はどんな未来を歩んでいるのか、どんな社会を生きているのか。どんなかたちであれ、きっと思いもよらないことになっているだろうし、そうであってほしいと思います。
10年後と言えば、自民党派閥の裏金事件を受けた政治資金改正法案改正を巡り、岸田首相は31日、公明党、日本維新の会とそれぞれ党首会談を開き、自民党案を修正することで合意し、新たな修正案を提示しました。政策費の改革については、10年後に領収書を公開する仕組みを設けることを明記しました。
使途公開を10年後としたことについて、SNSでは連日批判や疑問の声が続出しています。収賄罪の時効が最大10年ということが関連しているのではないかという、うがった見方も注目を集めています。
十年一昔(じゅうねんひとむかし)。「世の中は移り変わりが激しく、10年も経つともう昔のこととなってしまう」という意味のことわざです。
そもそも政策活動費の公開に、なぜそんな長い歳月が必要なのでしょうか。そして10年前の使途など、誰が説明できるのでしょうか。『自分のアルバム』に向き合った後だけに、違和感は一層募ります。納得のいく説明を求めます。
参考資料:
1日付 朝日新聞朝刊(東京14版)1面「規制法案 公明・維新賛成へ」関連記事2,4
1日付 読売新聞朝刊(東京13面)1面「自公維 修正案合意」関連記事2,4,29