1975年4月30日、南ベトナム政府の首都サイゴンが陥落してベトナム戦争が終結しました。来年で半世紀を迎えるのを前に、写真家・桑原史成さん(87)が撮影したベトナム戦争の写真が東京都千代田区の新東京ビルで展示されています。桑原さんはどういう思いでシャッターを切ったのでしょうか。話を聞きました。
ベトナム戦争は64年8月のトンキン湾事件から始まりました。分断した南北ベトナムの勢力が対立する中でベトナムの共産化を恐れた米国は65年から南ベトナムを支援。長期化しましたが75年のサイゴン陥落で終結しました。米軍は61年から10年間に約7200万リットルの枯葉剤を散布しました。枯葉剤はがんの発症や赤ちゃんの先天的な障害を起こします。「枯葉剤/ダイオキシン被害者協会」(VAVA)によると、枯葉剤による後遺症がある人はベトナム国内に約300万人以上いるとされています。
ベトナム戦争を戦場で撮影した日本人写真家がいます。2人の母親が子供を連れて川を渡る写真「安全への逃避」でピューリッツァー賞を受賞した沢田教一さんや日本ジャーナリスト会議(JCJ)特別賞を受賞した石川文洋さん。沢田さんは70年10月28日、カンボジア戦線をUPI(米国の通信社)の同僚記者と車で移動中に狙撃され亡くなりました。現在86歳の石川文洋さんは戦場を「死んでもしょうがない」と振り返るほど、過酷な現場だったといいます。
水俣の写真を撮り続けている写真家、桑原さんも1967年12月にベトナム・サイゴン(現ホーチミン)に行き、戦場で写真を撮りました。桑原さんは65年、日韓条約が締結された時には韓国で取材をしていました。条約締結時は街で大きなデモが起き、その後韓国軍のベトナム派遣と続きます。当時のソウルは熱気で沸き立っていたといいます。
ベトナム戦争を取材したいと思った桑原さんはサイゴンに入りました。フリーの写真家なので行きたいと思ってすぐ行けるわけではなく、費用を作らなければなりません。ベトナムの正月テトは中国と同じく旧正月にあたり、カレンダーより1か月遅れです。テトを迎えたサイゴンは初日から「ベトコン」と呼ばれていた南ベトナム解放民族戦線との市街戦が繰り広げられていました。「私は現地で何が起きていたのか分からなかった」と当時を振り返ります。
桑原さんは戦争が終結して2年が経った77年に再びベトナムを訪れました。サイゴンは資本主義から社会主義に体制が変わっていました。貧しい人は喜び、お金持ち、学歴のある人は戸惑っていました。「国の体制が変わり多くの人が困惑していた」と桑原さんは話します。
写真展は丸の内フォトギャラリーで開かれており多くの人が見学に訪れています。ギャラリーにはテト攻勢のなかで政府軍に連行される人々の様子や枯葉剤の影響を受けた少女の写真など全部で57点の作品を見ることが出来ます。
終結から半世紀がたち徐々にベトナム戦争を知る人が少なくなってきています。桑原さんは私たち学生に「当時、大学生と同じ世代の人が社会の変革に苦しんでいた。過去の歴史を、写真を通して学んでもらえれば」と話します。写真展は東京都千代田区丸の内3-3-1新東京ビル2階、丸の内フォトギャラリーで4月30日(火)まで。
参考記事:
6日付 朝日新聞デジタル「ベトナムの戦時下とその後を記録 東京で桑原史成さん写真展」