四川に生きるシャンシャン、四川に生きる人びと

大学のプログラムを利用し、卒業旅行として四川省・成都へ。成田空港から直通便で6時間ほど。中国の内陸部に位置します。

(Wikipediaより)中国の地図。赤の部分が四川省で、日本の1.3倍の面積がある。

四川と言えば、麻婆豆腐など辛くて有名な四川料理や世界遺産の九塞溝があり、三国志で名高い蜀の劉備玄徳や諸葛亮孔明が活躍した地でもあります。

その中でも、世界的な関心を集めているのが「パンダの故郷」としての四川でしょう。パンダは南西部の標高の高い山岳地帯に生息し、四川省の他にも、陝西省や甘粛省などにも棲んでいます。保護施設は中国国内にいくつかありますが、今回は省都の成都から南西に下った雅安のパンダ保護センターを訪れました。

雅安パンダ保護センター内の施設にて。四川省にあるパンダ基地の位置が示されている。最初、中国全土の地図だと勘違いし、「ひとつの省でこんなに広いのか」と感動した。

雅安パンダ保護センターの入り口。

日本で「パンダを見ることができる場所」というと、東京の上野動物園がまず思い浮かびます。私自身も高校生の時、友だちとシャンシャンに会いに行きました。そうした日本の動物園とは違い、センターは驚くほど広々としています。日本が観客に焦点を当てて作られているとすれば、こちらはパンダの生活に主眼が置かれているという感じでしょうか。パンダののびのびとした姿を見ることができました。

出発地のホテルからごく普通の観光バスで移動しましたが、行けるのは入口まで。パンダの暮らす環境に配慮し、そこから先のガソリン車の使用は制限され、電動カートで向かいます。

朝9時過ぎにシャンシャンのエサやりが始まります。大きな音にびっくりしてしまうからと、しゃべりたい気持ちを押さえます。シャイだというシャンシャンは人目に付かない場所をうろうろし、しっかりと姿を見ることができませんでした。ですが、その後、時間を改めて飼育場に行くと、今度は上野動物園よりも何倍も近くでシャンシャンを見られました。日本では大人気の「赤ちゃんパンダ」だったシャンシャンは、もう7歳になり、人間でいうところの20歳過ぎ。ちょうど筆者と同じくらいの年齢です。

ガラス張りのゾーンにお目見えしたシャンシャン。

エサ用と思われるものすごい量の竹がトラックに載せられて目の前を通過していった。独特な香りが辺りを漂った。

雅安パンダ保護センターに棲むのはシャンシャンだけではありません。日本だけでなく、海外から帰国していた他のパンダや、家族パンダもいました。子どもだけが集められたパンダ幼稚園なるゾーンも存在し、中国で国宝とされているパンダが国を挙げてどれだけ大切にされているのかが実感できました。

戯れる家族のパンダたち。

中国人の観光客もいた。ちなみに、今の中国では「和花(ホーファ)」というパンダが大人気で、パンダブームを席捲している。そのため、和花のいる成都基地に人が殺到しているという。

センター内の土産物屋さんの様子。ネットショッピングと比較してみると、値段は高く設定されている。これはお土産物の売値に、パンダ保護センターへの寄付金も含められているため。

天敵がいないためなのか、保護センターでの暮らしが極楽なのか、分かりませんが、パンダの動きや暮らしぶりには、のんびり、そしてほのぼのとしたオーラが感じられます。それはパンダだけではなく、広大といえども四川という同じ場所に住む人々にも似たようなことが言えると思います。

中国にはこんな諺があるそうです。

「少不入川、老不出蜀」

日本語にすると、「若者は四川に来るな、老人は四川を出るな」。四川省の人々の暮らしはゆったりとしたものだから、刺激が少なく、もっと社会で揉まれるべき若者は来るべきではないが、反対にお年寄りにとっては、のんびりとした生活は余生を過ごすのにはぴったりだから、出てはいけないという意味です。

沿岸部で外国との関わりがあり、近現代における政治闘争の表舞台となった北京や上海とは、同じ「中国」といっても、大きく雰囲気が異なるようです。パンダと同じように「天敵」が少なかったから、四川の人たちはスローライフを送れているのでしょう。日々せわしなく生きる現代人は、こんな生き方もあるということを知っておきたいものです。

錦里古街にて。中国には露店での耳かき文化があるようで、椅子に寝転がれば、40元で赤い服の人たちに耳かきをしてもらえる。その奥は茶店で、日光浴しながらお茶を楽しんだ。

おそらく客人用と思われるスペースで休憩している作業員たち。自分のペースで生きているのが良いと思った。

清朝の趣が今なお残る街子古鎮の川のほとりにて。川下りの業者が水筒でお茶を飲みながらゆったりとお客さんを待っている。

 

☆さいごに

本日であらたにすを卒業いたします。記事を読んでいただいた読者の皆さま、拙い取材に快く協力してくださった方々、あらたにす編集メンバー、添削指導していただいた先生、事務局の方々…。記事を書くのは私ひとりですが、このように挙げていくと、様々な人たちのサポートがあってこそ、できていたものだったのだなと感じます。

明日、新聞記者としての一歩を踏み出します(といっても、まだまだ「卵の卵」ですが…)。あらたにすを通じて学んだことや、学生時代のフレッシュな感覚を忘れずに、今後も謙虚な気持ちで精進していきたいと思います。改めて、3年間ありがとうございました。