恥の多い生涯を送ってきました。
自分には、人間の生活というものが、見当つかないのです。自分は東北の田舎に生れましたので、汽車をはじめて見たのは、よほど大きくなってからでした。自分は停車場のブリッジを、上って、降りて、そうしてそれが線路をまたぎ越えるために造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは停車場の構内を外国の遊戯場みたいに、複雑に楽しく、ハイカラにするためにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。
『人間失格』の「第一の手記」の冒頭です。主人公の鉄道へのノスタルジーが吐露されています。東京都の三鷹市で晩年を過ごした太宰治。入水自殺をした玉川上水をはじめ、三鷹には関係の深い場所が多く存在します。
JR中央線・三鷹~武蔵境間に架かる跨線橋(こせんきょう)もその一つ。太宰はこの橋を気に入っており、ここで写真を撮ったり、「ちょっといい場所がある」と友人を案内したりすることもあったと言います。
そんな三鷹の跨線橋が94年の歴史に幕を閉じ、今月から撤去工事が始まります。以前より、橋を所有するJR東日本と三鷹市との間で、現状のまま橋を維持する方法が模索されてきましたが、1929年の当時の基準で建てられており、現在の建設基準を満たしていないこと、すぐ近くには地下道も通っていること、そして改修によって文化的価値の損なわれる可能性が高いことなどの理由から、撤去が決められました。
よく三鷹駅を利用する筆者も、この跨線橋がなくなると聞き、一般利用ができる最後の10日に足を運びました。いつもはがらんとしている駅から橋までの道には、いつになくたくさんの人がぞろぞろと続いていました。やはり筆者と同じように、最後に一目見ておこうとする人が多かったのでしょう。
子ども連れや昔を懐かしむ市民だけではなく、太宰治のファンや中央線や留置線の写真を撮ろうと大きなカメラを持った鉄道マニアがおり、さまざまな層から愛されていたスポットだったのだと、私自身も景色を眺めながら実感しました。
20分ほどが過ぎ、橋を降りようと階段へと向かうと、筆者が上がってきた時とは変わり、あまりにも人が多かったのか、警備員が立って入場制限を行っていました。この陸橋から、夕焼けと一緒に線路の様子を眺めたい、撮影したいと思う人がこの時間に集中したのでしょう。
『人間失格』の一節のように、太宰治にとっては、この橋を上り、そこから線路や武蔵野の街を眺めることが「ハイカラ」なことだったのかもしれません。
三鷹市は、15日から17日にかけて、事前抽選での当選者限定で渡り納めイベントを開くほか、マント姿の太宰の有名な写真が撮影された場所として、南東側の階段の一部を保存するとしています。また、スマートフォンでQRコードを読み込むと橋の風景がVRで再現される仕組みも検討しているとのことです。
参考記事:
朝日新聞デジタル12月16日「『太宰治が見た風景』もう見えない 東京・三鷹の名所に集う人人人」
参考資料:
青空文庫、「人間失格」
三鷹市、「太宰治と三鷹」
三鷹市、「三鷹こ線人道橋の今後の取り扱いについて」
三鷹市、「『三鷹こ線人道橋(こ線橋)』渡り納め」
JR東日本、「三鷹こ線人道橋の撤去に着手します」