マイクロアグレッション どこからが差別?

留学先のスペインに来てから二週間が経ちました。エスニシティの面でマイノリティという立場に置かれたことで、「私はアジア人、日本人である」と強く自覚させられています。日常生活のなかで「君は中国人?」と尋ねられることがしばしばあるからです。さらに、日本人の友人に「ありがとう」と言った際に、ティーンの少年らにそれを笑いながらオウム返しされたこともありました。駅でホームレスに “China, china(中国人)” と大きな声を浴びせられたこともあります。私は小さな街に住んでいるので、なおのことアジア人はもの珍しいのかもしれません。

しかし、たとえ話し手に悪意がなくても、受け手を傷つけてしまうことがあります。ティーンの少年らは思慮なく、まねただけかもしれませんが、自分の母語を嘲笑されるのに良い気はしません。私には一切の負い目はないのにもかかわらず、日本語を話さない方がいいのかなと思ってしまいました。しかし、スペイン語を学ぶ身であっても、母語に触れる時間は不可欠でしょう。彼らの言動は差別であると今では断言できます。

「マイクロアグレッション」は直訳すると「小さな攻撃」。話し手に悪意がなくても、無理解や無自覚な偏見が、受け手や周囲にとっては侮辱や攻撃になり得るということを指す。

マイクロアグレッションは、露骨な敵意がなく、相手への興味を示していることもあり、差別だと言い切れないように感じることがあります。しかし、「差別だ」と「差別じゃないかも?」の境界線があまりにも曖昧なので、無自覚に相手を攻撃してしまう恐れがあります。例えば、KPOPアイドルが片言の日本語で話しているのをファンがまねたとしましょう。ファンにとっては、単純に「推しがかわいい」と思ってしたことでも、差別になり得るのです。片言の日本語を見下してまねるという攻撃にあまりにも類似しているからです。差別かそうでないかは文脈に依存しますが、受け手によって感じ方は様々です。

マイクロアグレッションをなくすには、自分にたとえ差別意識がなくても、差別だと捉えられ得るようなことはしないように心がける必要があるのではないのでしょうか。

 

参考記事:

10日付 日常生活に潜む、気づきにくい差別を学ぼう 大阪・生野でフォーラム:朝日新聞デジタル (asahi.com)