新聞の教育面、どんな読み方をしよう?

新聞の教育面は、さまざまな学びの可能性を教えてくれる。13日付の朝日新聞には、子連れで米大学院に進学した女性の話が載っていた。1度ベンチャー企業に就職したその人は、子育てと両立しながら勉強し、30歳でニューヨーク州の大学院に進学したという。

「海外の大学院を目指して勉強している方は、スマホの画面を白黒にして無駄な時間を省き、毎朝4時半に起きて、頑張ってください」

最後の1文が刺さった。年齢や環境にかかわらず、やろうと決めて取り組まなければいけないのだ。勉強はいつ始めたって遅くない、そんな勇気をもらった記事だった。

最近勉強にハマっている。今は語学だったり哲学だったりするのだけれど、科学にも取り組んでみたいし、新しいことはなんでも知りたい。本を読み、学問が好きな人たちに囲まれて、知らなかったことに毎日出会えるのは、本当にうれしいことだ。何かを知る喜びは、他とはまったく種類が違うものだと思う。この喜びをなんと呼べばいいのか、今はまだ分からない。

勉強が好きだからなのか、教育面の記事は、気になることが多い。でも、少し背伸びして読んでしまいがちなのが悩みだ。「問題意識を持たなきゃ」。ときどき興味よりも義務感が勝る。それは、たとえば小中学校の教育のあり方や、先生の働き方について読むときに起こる。どこか他人事として受け止めている自分もいるんだろう。でも、学び、という点ではどのテーマも共通している。もっと肩の力を抜いて、自分事として捉えたいと思う。

学ぶことは楽しい。新聞を読むことも、その一つだ。あるいは、自分を知ることでもある。自分が変われば、記事から読み取れることも変わる。私は、何かを体験するたびに、いつも自分の中に何かを発見し続けているんだ、と思う。