【社会】「8月ジャーナリズム」が与える影響

月が変わり、「8月ジャーナリズム」が多く見受けられるようになりました。「8月ジャーナリズム」とは毎年、広島と長崎の原爆の日、さらには終戦記念日が近づくにつれて増える戦争や平和についての報道のことです。これには賛否両論あるそうです。広島と長崎では今年、被爆から78年を迎えます。これを機に「8月ジャーナリズム」について考えてみたいと思います。

まず賛成の意見として、平和や戦争について「戦争を2度としてはならない。」という思いをはせる良い機会になるからという理由が挙げられます。戦争経験者は年々減っていき、お話を聞くことが難しくなってきています。それでも毎年、各メディアが掘り起こし、それを報ずる。生の声を届けることで人々の心に刺さる報道が大切であると感じます。

それにより、戦争体験者しか伝えられない、家族を失った悲しみなど、当時の生々しい情景が伝えられます。体験していない私たちでも胸が苦しくなるような内容ばかりです。そして私たちに「戦争を2度としてはならない」という気持ちを思い起こさせてくれます。

私はこの文章が心に響きました。

『片方のげたをなくし、「おかあちゃーん」と泣きながら、片足で跳ねて必死に逃げた。あらゆる所で火の手が上がり、防火用水の水槽の中で動かなくなった人もいた』。中国新聞が被爆者である89歳の末政サダ子さんにインタビューした記事に書かれてありました。これだけでも当時の情景がありありと伝わってきます。体験した人にしか表現できない言葉の使い方だと筆者は感じました。

戦争体験を話せる人が少なくなってきたため、それを伝える「被爆体験伝承者」がいます。現在では伝承者の方が被爆証言者を上回っています。いつかは話を聞けなくなる時が来てしまいます。今、肉声を聞き、文字としても音声としても残しておくことが私たちにできることではないでしょうか。戦争体験者からの声は貴重なものだと考えます。

対照的な意見として、報道の方向性を見失っているという指摘や8月が過ぎると報道が極端に減るという批判があります。先にも述べたように、証言者が減少し、当事者に取材をするスタイルは維持しにくくなっています。そのため、新しい方向性をさぐる報道も見受けられます。3日に放送されたNHKの「ニュースLIVE!ゆう5時」では、「折り鶴を練り込んだお線香」が報じられていました。戦争や平和についていくはずが、戦争や平和を通して利益を得るような行動になってしまっているのではないかと筆者は感じてしまいました。

報道の切り口が変わってきてしまっているのかもしれません。しかし、何度でも戦争体験者の声を届け続けることこそが「8月ジャーナリズム」の報道の形であると考えます。

また、戦争や平和についての報道が8月に偏るという意見もあります。戦争を体験した人は8月だけ苦しんだのでしょうか。いえ、何年も苦しみました。それなのに、人々はこの時期になると平和や戦争について考えます。メディアも特集を組んで大きく取り上げます。今記事を書いている筆者も同じかもしれません。そのため、8月が終わるとパッタリと報道しなくなることに反発する人が多くいることは当然のことでしょう。ただ、毎日取り上げることは、日々たくさんの報道がなされている中で難しいことでしょう。だから、戦争で被害にあった人が8月だけではなく、長い間苦しめられていることを念頭に置いて、報道に接するべきでしょう。

「8月ジャーナリズム」は、それを機に戦争や平和について考える人が1人でも増える機会になったらと考えています。敗戦から78年を迎え、戦争を知る世代が少なくなってきています。何度も言いますが、その少ない声を聞き届けることが「8月ジャーナリズム」の真価であると思います。

 

参考文献

・読売新聞オンライン、「ウクライナに重なる被爆体験、85歳の語り部が英語で伝えたいこと「守りたいものは何ですか」」、2023年5月19日、

https://www.yomiuri.co.jp/national/20230518-OYT1T50188/

・論座アーカイブ、「8月ジャーナリズムと追悼式から 終戦記念日を問い直す」、2021年8月23日、吉田裕、

https://webronza.asahi.com/journalism/articles/2021081700005.html

・中国新聞デジタル、「あの日を、語り継ぐ。原爆投下78年目の夏」、2023年8月2日、

https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/341344

・毎日新聞、「戦争と平和 8月ジャーナリズムの今後」、2023年7月26日、

https://mainichi.jp/articles/20230726/ddm/004/070/015000c