突然ですが、皆さんにとって学校とはどういう場所ですか?
私たちはコロナ禍を通じて学校のあり方が一変することを経験しました。
それだからこそ、今の大学生活において大切にしたいと思うことが
生まれました。
「明日からは学校に来ないでください、自習室に来るのもダメ。次に登校するのは、後期期末試験の初日です」
先生の言葉に衝撃を受けました。
部活よりも学業優先で、課題が多いことが有名な私の母校。
校内にある自習室の利用を禁じるくらいだから、余程のことが起こったのだと高校生ながら思った記憶があります。
そして、登校するはずの日に登校することはありませんでした。
新型コロナウイルス感染症が拡大し、政府から全国の小中高校に臨時休校が要請されたからです。これに伴い、後期期末試験は中止。学年の節目を感じることもできないまま、私は高校3年生、受験生になったのです。
しばらく登校できない期間が続きました。受験生である以上は勉強を怠ってはいけないとひたすら打ち込む日々でした。登校する時間や時間割がない代わりに、自分でスケジュールを立てて学ぶことが求められます。当初はあまり苦ではありませんでした。しかし日が経つにつれて、次第に孤独を感じるようになってきました。
その頃の学校の動きも印象的でした。必要最低限のことをこなしているように見えました。
生徒に対して授業動画を配信する。オンライン上でクラスミーティングを開き、担任が連絡事項を伝える。先生の連絡先を知らせ、わからないことや相談があればコンタクトさせる。これで困ることはありませんでした。それでは、なぜ孤独を感じてしまったのでしょうか。
友だちとの繋がりが抜け落ちたことにあると思います。
休校になったことで、学校の友人と会うことは全くと言っていいほどなくなりました。
もちろんLINEで連絡を取り合う相手がいなかったわけではありませんが、
直接会うことができない分、心のどこかに住みついた寂しさが消えることはありませんでした。
学校が知識を提供したり学ぶ環境を整えたりするだけでは、高校生活が成り立たないことに気づかされました。友人と会えることがどれだけありがたいことなのかを実感した日々でした。
このような事例は、コロナ下の学園生活だけではないようです。
5月10日の朝日新聞朝刊13面「本屋がいまできること」という記事には、本屋の減少による影響、デジタル時代における本屋の役割が書かれています。
この記事を読んで感じたのは、なにか一つ便利になると気づかぬうちに何かが抜け落ちているということです。書店にはたくさんの本が並んでいて、目当ての本を探すために歩いているだけで、いくつもの本を目にします。そのような中で、思いがけない出会いがあるかもしれません。
これが電子書籍やネットで買う場合はどうでしょう。自分の目的の本を見つけるのに時間はかかりませんが、新たな本との出会いは、ほとんどありません。あったても、せいぜい関連書籍程度でしょう。
表紙に惹かれた、内容に惹かれた、書店員が書いたPOPに惹かれた、表紙がたまたま目にはいった。そういう運命を感じるような出会いはまずありません。時間削減の代償です。
今は指一本でなんでもできる時代です。
実物を見ずに商品を買えますし、教室に行かずとも授業を受けられます。とても便利な世の中になってきているのは言うまでもありません。
では、あなたが最後に紙の書籍を手に取ったのはいつですか?
友人とさしたるきっかけもなく、気の赴くままに話をしたのはいつですか?
ますます世の中が便利になっていくなかで、あなたの知らない間になくなっているものがあります。「必要最低限」、本当にそれだけでいいのでしょうか。
参考記事
5月10日(水)朝日新聞 朝刊13面 「本屋がいま、できること」