「何もしない」が、したいわ。

最近、心の調子がやけにいい。気分の浮きしずみはいつでもあるものだけれど、ここ1カ月は落ち込むことがめっきり減りました。理由は私の中ではっきりしています——スマホや、パソコンに触れる時間を思い切って減らしたことです。

知らず知らずのうちに刺激的なニュースを目にして疲れたり、SNS の内容に一喜一憂したり…デジタル端末は、まるで情報の洪水。迷ったときは、一度立ち止まって考えてみる。「紙の本で調べよう」「手書きでもいいよね」。こうした選択を繰り返すほどに、いかに何も考えずに電子機器に触れていたかを実感します。

11日付の朝刊によれば、読売新聞社は3〜4月、デジタルと社会をテーマに全国世論調査を実施したそうです。私が解説記事でいちばん気になったのは「スマホ 考える力低下 54%」の見出し。

スマートフォンの使用により自分で考える力が低下したと「感じる」人は、「大いに」と「多少は」を合わせて54% と、半数を超えた。(11日付読売新聞〈15面〉から引用)

この記事では、考える力の低下は、ネット検索に頼りすぎることと関連があると分析しています。これには、ちょっと驚きました。私自身は、ネット検索頼りというのはそれほど問題があるとは思いません。近道があるなら使えばいい。情報を比較して検討するリテラシーだって、立派な「考える力」ではありませんか。

同じ記事に、統計的には「考える力の低下と、ネットへの依存度の間に強い関連性はみられなかった」とあります。しかし、むしろ「依存」にこそ、考える力を低下させる可能性があるのではないでしょうか。

いまの私は、「何もしない」時間の大切さを噛み締めています。小学生の頃は、手持ち無沙汰のときは何をしていたんだろう。アナログな手段を意識して使うようになってから、時間がゆっくりと過ぎるようになりました。なんだか何もすることがないような、不思議な感覚に襲われるからです。

私は大きなアナログの利点に気が付きました。それは、目に入る情報量を減らせるということです。頭を空っぽにする時間が貴重だってこと、なぜか忘れていたんだなあ。慣れてしまえば「何もしない」は悪くないどころか、脳を活性化させてくれました。気付けばすっきり明快、考えが整理されて、新しいアイデアが次々と浮かんできます。

同時に、デジタルの欠点にも思い当たりました。スマホは私の想像以上に、私の頭をいっぱいにします。新しい考えの生まれる余地を減らし、多すぎる情報で混乱させるのです。問題は、費やす時間の長さではなく、常にそばにあるのが当たり前だということ。「依存症」とはいわずとも、何気なく手に取る瞬間を積み重ねるだけでも、心に悪影響を与える可能性があるかもしれません。

デジタル社会の発展と共に成長するZ世代の私たち。時代が目まぐるしく変わる最中にいるのだと実感します。チャット GPT のニュースからも目が離せないけれど、たまにはアナログな手段も真剣に検討しつつ、賢く生きてゆけたらいいなあ。Google マップがないと満足に道も歩けないなんて、まったく人に自慢できませんから!