照り付ける日差しを反射して、不知火海は輝いていました。
5月1日、水俣湾の埋め立て地「エコパーク水俣」で水俣病犠牲者慰霊式が営まれました。昭和31年(1956年)水俣病公式確認の日に合わせて、犠牲となって亡くなられたすべての生命に慰霊の祈りを捧げるとともに、環境再生・創造を誓うために開かれたものです。(引用・参考:令和5年度水俣病犠牲者慰霊式の開催について(お知らせ) / 水俣市 (minamata.lg.jp))
筆者は、熊本日日新聞に勤めている母校OGの誘いで参列しました。水俣を訪れたのは、この日が初めてです。博多駅から新幹線に乗ること一時間強。新水俣駅は木々に囲まれた自然豊かな場所にありました。(余談ですが、同じ新幹線に警備に向かうSPの集団が乗っていて、その迫力に驚きました。)
式では、患者・遺族代表が祈りの言葉を、西村明宏環境相や蒲島郁夫熊本県知事、原因企業チッソの木庭竜一社長が謝罪を、市内の小学生が決意を述べました。
患者・遺族代表松崎政司さんの祈りの言葉にある「水俣病問題の収束はまだ遠い」という発言から、小学校の授業で初めて学んだとき、「水俣病は克服された過去の公害病」と考えたことを思い出しました。公式確認から67年。水俣病の認定患者は熊本、鹿児島両県で2284人(3月末現在)。現在も1414人(同)が患者認定を申請し、国や熊本県、チッソを相手取って損害賠償を求める集団訴訟も続いています。水俣病は今の問題です。患者や家族、支援者にとっては当たり前のことに直接触れてくれたことで、「今の」水俣病の問題に気づかされました。
加えて、慰霊式に初めて参列した者として、チッソの木庭竜一社長が謝罪の言葉を述べたことを不思議に思いました。加害者側の人が参加し、謝罪して献花する。家族や友人、自身の体を蝕んだ原因の会社の経営トップの発言に、患者や遺族の皆さんは何を思ったのでしょうか。
式の帰り道、被害者支援の方から発せられた「謝罪の内容が本当なら水俣病は解決している。毎回同じようなことを言って、うわべだけの言葉としか思えない」との言葉にはうなずかされました。そもそも、解決とはどのようなことだろうか、その時は来るのだろうかと思いを巡らせもしました。
その後、胎児性患者や支援者らによる集会にも参加しました。筆者を含めて参加した学生は5人。集会を主催した「水俣病胎児性小児性患者・家族・支援者の会」事務局長の加藤タケ子さんは若い人に積極的に参加してほしいと、学生を胎児性患者の皆さんのサポートに振り分けました。筆者は永本賢二さんを担当させてもらい、祈りの言葉を読み上げる援助をしました。無事読み上げると、永本さんはグーを出して感謝の気持ちを伝えてくださいました。グータッチをしたときの永本さんの笑顔は忘れることができません。
水俣病解決のために奮闘する方々は、皆かっこよかった。
水俣病の解決がどのような形で叶うのかは分かりません。しかし、60年を超える年月の間に培われた正しい知識を身に着けて、後世に伝えていくことが、本当の解決には不可欠だと思います。これからも可能な限り水俣の今に触れていきます。
参考記事:
・2日付 朝日新聞朝刊(13版)25面「水俣病67年 親子の祈り」
・2日付 読売新聞朝刊(14版)23面「水俣病 苦難なお」
・2日付 熊本日日新聞 水俣病公式確認67年、犠牲者に鎮魂の祈り 水俣湾埋め立て地で慰霊式 4年ぶり通常開催(熊本日日新聞) (line.me)
・3日付 西日本新聞me 水俣病公式確認67年 胎児性患者ら集会で犠牲者悼む |【西日本新聞me】 (nishinippon.co.jp)
参考資料: