みなさん、花はお好きですか?
私は花が好きで机の上に造花を置き、時間があれば公園に見に行きます。
先日、サークルで花束をいただく機会があり、早速家に飾りました。
ピンク系統でまとめられたのが生花です。手前の造花とではこんなに鮮やかさが違うのかと感動したとともに、この鮮やかさは短い間で失われてしまうことに儚さを感じました。
人間も同じことが言えるのかなと思います。死後に評価される芸術家のような人もいますが、そうした著名人も含め、人間は生きているときが一番鮮やかで美しいように思います。死があるからこその輝きです。
しかし、「人間には死がつきもので、死んだ人とはもう会えない」という概念が覆される未来は遠くありません。死んだ後も、録音でない肉声やクローンを残せる技術が開発されているそうです。
4月4日の朝日新聞の夕刊では、例文を何パターンかその商品に録音すると、その声を覚え、例文にない文章の読み聞かせもできるスピーカー「coemo(コエモ)」を玩具会社タカラトミーが開発したことやデジタルクローンを作る企業「オルツ」に、自分のAIクローンを作りたいという声が寄せられていることが紹介されています。
AIクローンとは、その人が体験したことや経験、情報、考え方などをAIに覚え込ませてクラウド上に残すものです。
AIクローンがもし誕生したら、どうなるのでしょうか。バーチャル空間であっても自分の分身が残せるのなら、後世にも自分の考え方を直接伝えることが可能になります。自分の子孫が迷った時に、AIクローンを通じて助けることができるかもしれません。遺言がなくても、AIクローンに聞くことで、不明確だった遺産相続がはっきりする可能性だってあります。
もちろん、デメリットもあるでしょう。
AIクローンには、寿命がありません。壊れないかぎり、半永久的に残り続けます。人格や考え方が保存されるのですから。しかし、あくまでこれは複製品にすぎないので、その人格や考え方が生前の本人と本当に一致しているかどうかわかりません。
それに、冒頭の花と違ってクローンに死というものが明確にないということは、生前の本人の輝きや鮮やかさが、もしかしたらAIクローン時代にはなくなってしまう可能性さえあります。
AIクローンとして後世に残ることが、必ずしも悪いとは思いません。その時代を生きた人にはその時代やその人自身の特有の価値観や考えかたがあります。それを後の世の人々が参考にすることは有効かもしれません。
とはいえ、人間は死があることで人生を精一杯美しく生きるのではないかと考えます。生きているからこその輝きがあるわけで、それをクローンにまでして残したいと私は思いません。
AIが発達した今だからこそ、出てきた新技術にどう向き合い、どんな関係性を築いていくのか。考えていかねばならないと思います。
参考記事
4月4日 朝日新聞 夕刊
死後も「自分」を残すAI 話し方・考え方を覚えて保存する商品に注目