「大学生」という肩書とも今日でお別れ。明日から新社会人になります。4年間を振り返ると、本当に多くのご縁がありました。中でも好きな音楽を通してできた仲間の存在は大きいです。「編集部スタッフ紹介」にもあるように、筆者は幼い頃から昭和歌謡が大好きでした。しかし、同じ趣味の友人は、大学生になるまで全くと言っていいほど出会ってきませんでした。都内には、昭和歌謡を聴きながらお酒を楽しむことができる「歌謡曲バー」が数多くあります。大学2年生の頃、新橋にある「スポットライト」という店を訪れたことがきっかけで、人生で初めて「同世代の昭和歌謡好き」との交流が生まれるようになりました。
そこで出会った一人に松永かなえさん(25)がいます。彼女は、昭和ポップス、つまり1960~80年代の大衆音楽を楽しむためのコミュニティ「平成生まれによる昭和ポップス倶楽部」を運営しています。今回は、かなえさんに昭和ポップスとの出会いや、その魅力についてお話を伺いました。
出会いは4歳まで遡ります。母親が自宅で、「川の流れのように」を流していたことがきっかけで、次第に美空ひばりの虜になりました。しかし、小学生になると、友達から取り残されたような疎外感を覚えだしたと言います。コンプレックスから、流行りの曲を聴くように努めてきたそうです。
月日は流れ、高校3年生に。ある日、中森明菜の「DESIRE」をYoutubeで初めて目にし、これまでのアイドル像が崩されるような衝撃が走りました。その後、松田聖子、小泉今日子、河合奈保子、ユーミン、中島みゆき、尾崎亜美、竹内まりや、金井夕子など、独自の世界観を持った女性の歌声に魅了され続け、今に至ります。大学時代は、出版系の学部に所属していたため、卒業制作では戦後の昭和文化を特集した雑誌を作成。純喫茶や戦後増えた居酒屋、レトロなグッズが買えるお店に足を運びました。普段は、アナログ3:デジタル7で音楽を楽しんでいるそうです。3年前からのコロナ禍のなかでレコードプレーヤーを購入してからは、専門店やメルカリを通して、レコードの収集にも励んでいます。
昭和ポップス倶楽部は、住んでいる地域、職業、肩書きを超え、「聴く」「観る」「話す」ことで昭和ポップスを探究し、その魅力を共有・共感し合う若者のコミュニティのこと。毎月2回の定期交流会、1回のイベントを開催しています。交流会では、持ち回りで昭和ポップスについてのプレゼンをします。イベントでは、トキワ荘などの昭和文化に触れたり、音楽業界のゲストを招いたり…と盛りだくさん。現メンバーは、下は20歳から上は38歳までの33人。参加条件は、「昭和60年(1985年)生まれ以降の方」としています。
設立のきっかけは歌謡曲バーにあるのだとか。筆者と同様、大学生の頃に初めて訪れたかなえさん。自分が好きな音楽を大音量で聴ける楽しさを味わえた一方で、同世代の若者が少なかったことが印象に残ったそうです。年配のお客さん同士が盛り上がっている様子に、「羨ましい」という気持ちになりました。
「同世代でも、昭和の音楽を好む仲間がいるのではないか…」。そう思い立ち、2020年2月、新橋にある「あの頃のスーパースター」(現在は中野に「おもいで処逆行」として移転)で昭和ポップス好きな若者の交流会を企画。Twitterで募集をかけ、約20人を集めました。結果は大盛況。「継続的に繋がりを増やしたい」と考え、参加者の1人に相談を持ちかけたのが発足のきっかけです。以来、みんなが楽しめ、知識格差が生じないような運営を心がけています。
歌謡曲バーの魅力については、「リアルタイムで聴いていた世代にとっては、青春時代に戻れる懐かしい場所。私たち世代からすると、大音量で昭和の音楽を楽しめる、時代を忘れられる異空間」だと訴えます。昭和ポップス倶楽部では、歌謡曲バーを会場に交流会も開いてきました。そこではMCにかなえさんが抜擢されるほど、素敵な関係性を築いています。
「後追い世代の私たちからすると、昭和ポップスは全てがプロフェッショナル。作曲家、作詞家、編曲家が分業制でヒットのためにしのぎを削っている。そのため、メロディサウンド、アレンジ、歌詞、全てが際立って、何かしら耳に残る」と力説しています。昨今のブームに関しては、流行として消費されてしまうことに対する懸念もあると言います。「市民権は得たので、このまま昭和ポップスの魅力が後世まで伝われば…」と願っているようです。将来の目標は、資料館を作って戦後の大衆音楽を継承すること。「昭和を知らない若い世代に昭和のカルチャーをもっと知って、楽しんでもらいたい」。そんな夢が叶う日を、筆者も心待ちにしています。
父親の影響で昭和アイドルに魅せられた会社員の女性(27)は、「今の曲や世界観とはひと味違う、ときめきがある。特徴的なステージ、攻めている歌詞、衣装、豪華な音楽番組など全てが魅力」と話します。筆者も両親の影響で、フォークや演歌、アイドルなど幅広いジャンルの音楽を聴いて育ちました。取材を通し、老若男女がサビにこだわらずに歌えて、歌詞が奥深いのが昭和歌謡の良さだとも思いました。内定先のプロフィールでも既に歌謡曲好きを公言してしまった筆者、今後も好きな音楽に囲まれながら社会人生活を楽しんでいきます。
皆さま
本日の投稿を持ちまして、多くのご縁を運んでくれた「あらたにす」を卒業いたします。大好きなテーマで今年度最後の記事を締めくくることができ、大変嬉しい気持ちでいっぱいです。今日までお読みいただきありがとうございました。2年間、48本の記事を書き上げることができましたのは、ひとえに関わってくれた皆さまのご協力があったからです。どれも私にとって大切な記事、大切な思い出です。取材を快く引き受けてくれた方々に感謝申し上げます。春からは、新聞社で報道を支える側に就きます。どうぞ今後とも「あらたにす」をよろしくお願いいたします。ありがとうございました。
遠藤花連