東日本大震災から12年を迎えました。愛知県で生まれ育った私には、大学生になった今でも思い返すことがあります。
■当時の記憶
教室がグワングワンと揺れるなか、私はぎゅっと机の脚をつかみました。揺れが収まるまでがとてつもなく長く感じられたものです。愛知県では大きな被害はありませんでした。ただ、小学校の視聴覚室で、津波が街を飲み込む瞬間を捉えた映像を見たことは今でも鮮明に記憶しています。先生は多くは語らず、私たちもただじっと画面を見つめました。黒い海に強い恐怖を覚えると同時に、そこにあった人々の営みが一瞬にして破壊されたことに大きな衝撃を受けました。8歳だった私には信じられないようなことであり、どこか遠くで起きたことのように思いました。この震災を自分自身に引き付けることができなかったのです。
■一枚のはがき
中学の美術の時間、一枚の絵手紙を書きました。震災により愛知県に避難した人に宛てたものです。大切なものを失い、故郷を離れるということ。自分に置き換えてみてもなかなか言葉にすることができません。自分の想像だけで語ること自体、被災者には厚顔無恥な振る舞いのように感じられるのではないかとすら思いました。悩んだ末、震災について深く触れることはしませんでした。大根とかぼちゃの絵を描き、ただ相手の体調を気遣う言葉を添えました。相手の名前も顔も知らなかったけれど、まるで旧知の人に送ったように感じたのです。しばらくして、先生から一枚のはがきを手渡されました。私の書いた絵手紙に対して返事が届いたのです。ちょうど今のように冬から春に移ろっていく時期のことでした。当事者の置かれた状況や心情を完璧に理解することは困難でしょう。しかし、当事者に心を寄せること、当事者をリアルに感じることはできるのです。
トルコ・シリア地震が起きたことは記憶にも新しいでしょう。私にできることは何なのか、今一度考えてみようと思います。
参考記事:
11日付 朝日新聞朝刊(名古屋14版) 1面