助け合いの島・大島 独自の「自立更生制度」から学ぶこと

翌週の大学の授業でベーシックインカムについてのディベートを控えていた私は、その準備のなかで、「自立更生制度」という謎の制度を取り入れた島があることを知った。助け合いの精神が旺盛というその島は、長崎県の五島列島北部にある大島(小値賀町)。人口は55人(2023年1月末時点)、面積は0.71平方キロメートルしかない。

ただ、調べてみてもなかなか詳細が分からない。全国紙でもほとんど扱われていない。これは自分の目で確かめるしかない。私は島に向かった。

博多港から小値賀(おぢか)港までフェリー太古で4時間45分。その後、小型の定期船に乗って10分ほどで着く。筆者が上陸したのは日曜の朝。私以外に6人が乗船していて、その大半が中年の夫婦だった。島に住む高齢の両親の世話のために毎週末通っているそうだ。

⇧大島が見えてきた!笛吹港→大島の定期船より筆者撮影(12日8時42分)

島に着くと、高さ2メートルほどの石碑が私を迎えてくれた。よく見ると「自立更生」とでかでかと書かれてある。おぉ。なんか普通の島とは違う雰囲気。

80代の女性と出会った。島の暮らしについて、「みんな家族みたいなもんですね」と笑顔で話してくれた。台風の被害に遭った際には、近隣の住民が協力して屋根を直し、海で珍しいものが採れた時は近所の人にも食べさせてあげるそうだ。助け合いの精神は島民に深く根付いていた。島の人はとても愛想がよく、快くインタビューに応じてくれた。

 

でもよくよく考えてみると、「自立」と「助け合い」って少し相反する概念なのでは?と思った。

船の待合所の壁には「自立更生制度」について取り上げた雑誌の記事が貼られていた。記事によると、大島から東に1kmほど離れたところに宇々島という島があって、大島で一番困窮した家族がそこに渡って生活を立て直す。これが自立更生制度らしい。宇々島は無人島だから他に誰も漁業をすることはなく、豊富な魚介類、海藻を自由に採る権利が与えられる。ここで蓄えを作り、2年後、次の困窮家族と交代する。なお、江戸時代の「享保の大飢饉」から続いた同制度は1971年に廃止された。記事はこんな文で締めくくられている。「自分の力でしっかりした生活の土台をつくる。同情や施しではない助け合いの精神は、いまでも大島に息づいています」

自立更生制度について詳しい人の情報を耳にした。80代のその男性は雑誌の記事の内容と基本的に同じことを仰っていたが、宇々島の暮らしは「言葉に絶するほど過酷なもの」だったらしい。男性は宇々島で暮らしたことはないが、制度の対象となった女性が知り合いにおり、数年前に話をした時には「思い出すのも嫌」と言っていたそうだ。

魚介類だけで生活することはできず、漁業と並行して農産物も作ることになる。宇々島は大島と違って湧き水が出ないので、牛を飼うことができず、手で田畑を耕さざるを得なかった。その負担は「すさまじかった」。記事には2年間、大島には戻ってこなかったとの記述があるが、実際は真水を運ぶために頻繁に大島に来ていたそうだ。凪の日は15分ほどで着くが、しけた日は移動に3時間近くかかった。船にエンジンなどはないので手で漕ぐ。その女性は宇々島でよく泣いていたそうだ。

⇧島が多い五島列島。中央が小値賀島。右手前が宇々島(12日11時13分、大島より筆者撮影)

ここまで読んで、読者の方は自立更生制度についてどう思われただろうか。「冷酷で無慈悲な制度だな」という感想もあるかもしれない。

ただ、宇々島への2年間の移住は強制ではなく、あくまで本人の希望制だった。また、貧困家族が島に渡っている間は納税や奉仕作業が免除され、その負担は他の島民が負った。さらに、宇々島には学校などないので、子どもは大島の人に預け、夫婦だけで島に渡るケースも多かったそうだ。こうした貧困家族を島全体で支えた過去が、今の助け合いの文化につながっているのだと考えられる。

自立更生制度に対する評価は分かれるところだろう。貧困から脱せるとはいえ、過酷な生活を島として用意するのは今の世の中では考えにくい。ただ、子育てや奉仕作業など、貧困から脱する際のハードルを明確にする考え方は、現代社会にも生きると思う。

現在、子ども手当の給付対象、額などを巡ってさまざまな議論がなされている。子育てにお金がかかる以上、それを支給することは少子化対策になる。ただ、財源は限られている。当事者を取り巻く環境の何が育児と仕事の両立を難しくさせているのか、どうして働いてもなかなか懐に入ってこないのか、といった当事者の労働そのものに焦点を当てる視点も必要だと感じる。

 

参考記事:

ritokei(離島経済新聞) 2021年12月6日「自立更生の文化は今?(大島|長崎県小値賀町)【特集|島の文化に問う未来】

朝日新聞デジタル 2023年2月4日「みんなで貧しくなりますか?『少子化対策なぜ失敗』著者が迫る覚悟

※船の待合所に貼られていた記事を掲載した雑誌名は結局分かりませんでした。なお、平成6年に発行されたものらしいです。

※当記事のキャプションの写真は宇々島です。