食べることが好きだ。1人で出掛けた先でお昼を食べる時、家族や友人と食事に行く時。出来れば どんな場面でも、美味しいものを食べることについて妥協したくない。せっかく出かけて外食す るのだ。ランチだと1000円くらい、普段自炊している筆者の2日分の食費だ。どうしても満足で きる美味しいものが食べたい。そんな強迫観念にも似た願望が、猛烈なリサーチへと駆り立て る。インスタグラムなどのSNS、食べログなどの口コミサイトを開き、画面をひたすらスクロー ルする。
筆者ら若者は「Z世代」と言われているらしい。その世代を象徴する言葉として「タイパ」が盛ん に取り上げられている。とにかく効率良く、映画やアニメを倍速視聴したり、コロナ禍の大学の オンライン授業で、講義を受けながら他の作業をしたり。かける時間あたりに得られるメリット を最大限にしたい、時間対効果を追求するのが現代人なのだそうだ。
美味しいお店に行くためにとにかく情報を集める行動も、無意識ながら「タイパ」を求めている からこそだったのかもしれない。出かけるのにかかる交通費や食費といったコスパの面だけでな く、わざわざ出かけてご飯を食べに行くという、自分の時間を使った分の期待値をかけてしまっ ている。「絶対うまいもんが食べてえ」。そして行き着く先は、検索によって出てきた「みんな が美味しいと言っているお店」であり、「外れないお店」だ。
例えば、「#渋谷グルメ」と調べれば一番上には「オススメ!」や「食べなきゃ損する」のよう なワードと共に見栄えの良い、いわゆる映える料理の写真が出てくる。そこから今の気分に合わ せたお店を選ぶというのが、自分と同じ世代では一般的な方法ではないだろうか。確かに、そう して行ってみたお店は、大抵が美味しい。滅多に外すことが無い。
しかし最近、そのどうしても予定調和な「美味しい」に満足感を感じられなくなってきた。どう せそれなりに美味しいのだ。圧倒的な感動がない。アニメや映画も同じだ。今年流行っているア ニメは、動画ストリーミングサービスのランキングですぐにわかる。多少の好みで違いはあるに せよ、何かしら面白いものが見つけられてしまう。タイパを追求するあまり、自分で見つけ出し た偶然の面白さや美味しさを手にできる機会が少なくなってしまったのではないかと感じる。
簡単に良いものが見つけられるのに、わざわざハズレを引くかもしれない選び方をするのは億劫 だ。今の時間に面白いアニメが見れたかもしれない、もっと楽しいことができたかもしれない。 そんな想いがあるからこそ、適当に入ったお店の料理がとても美味しかったり、なんとなく買っ た本が面白かったりすることに、とてつもない価値を感じる。また、ハズレを引くことにもだ。 筆者は、流行や大量に流れてくる情報にぶれることなく、自分なりに選んで不味いご飯を食べて しまったという行為をとてもカッコイイと思う。タイパ至上主義の現在において、不確実性は贅沢 なものではないだろうか。
参考記事:
1月25日付 読売新聞オンライン「タイパ」求めるZ世代、快適なのは1.5倍速…アナログ世代から見ると
https://www.yomiuri.co.jp/column/economy03/20230123-OYT8T50036/