今朝の読売新聞の朝刊一面、SNS上で抗議を行う「Twitterデモ」の実態が報じられていました。抗議に加わったアカウントの1割からの投稿が、全体の半数を占めていたとのこと。限られた人物が、自動投稿などを活用しながらツイートを繰り返していることになります。「Twitterデモ」は政策決定にも少なからず影響を与えていることも留意すべき点です。
この結果は、改めてSNS上の言論空間が極端な状態に陥りやすいことを示したのではないでしょうか。中でもTwitterは匿名性が高く、複数のアカウントを持てるためこうした水増しや増幅を仕掛けやすい環境にあります。短時間に繰り返し呟かれたキーワードが表示されるトレンド機能もあるため、特定の集団の意見が世間の目に触れやすくなるのも特徴です。
こうした匿名の投稿や自動投稿アカウントの「Bot」による複数投稿もさることながら、検索の最適化によってユーザーが好む意見ばかりが表示される「フィルターバブル現象」や価値観の似たものが集まり思想を増幅させる「エコーチェンバー現象」が偏った意見を形成する一因となっていると感じます。
筆者が身をもってその恐ろしさを感じたのは、ひろゆき氏が辺野古の座り込み運動を揶揄する投稿をしていた折のこと。同年代の友人や若い年齢層に支持されているインフルエンサーのみをフォローするアカウントでは、ひろゆき氏への同調や嘲笑的な意見ばかりが目に付きました。
一方、憲法学や社会学、歴史学の教授、ジャーナリスト、企業の公式発表のみをフォローするアカウントでは、ひろゆき氏に対しての反論、沖縄問題をより理解した上での発言の呼びかけ、冷笑主義への懸念が並びました。所有するアカウントの傾向によって、1つの話題でも見え方が一切異なった一例です。改めてSNS上で目にする意見は限られた範囲のものでしかないと実感させられました。
特定意見のみが世間で幅を利かせているように錯覚する環境が確実にそこにある。自分専用に仕立てられたタイムラインを「社会の総意」だと感じてしまう人は少なくないのではないでしょうか。
実際、特定の状況下で議論を尽くすことは中庸を生み出さず、人々の意見が二極化することが社会心理学者の間で指摘されています。更にSNS上でよく見られる均質的な集団では反対意見を言い出す者がおらず、過激な見解に辿り着きやすくなるといわれています。これは「集団的浅慮」と呼ばれるもので、意見の二極化よりも危険な現象です。
米国では、特定の女性を殺害することを呼びかけ推奨するインターネットコミュニティーが引き金となり殺傷事件が起きたこともありました。似通った意見が固まりあい、先鋭化しやすいSNSは適切な言論空間をつくりづらい場所なのかもしれません。
法学者のサンスティーンは、「自分が最初から意欲的に選ばなかったものに接触すること」を民主主義の根幹に繋がる言論の自由が機能する条件にあげています。多様な意見を遮断しやすいSNSでは、あえて異論をおすすめに提示する検索エンジンの開発やガイド作成も視野に入れて良いかもしれません。
適切な形で人々が意見を形成しあえるよう、問題点が解決に近づくことを期待します。
【参考記事】1月24日読売新聞朝刊 東京13版 参加1割が半数投稿 関連33面
【参考文献】
ソーシャルメディアと民主主義:批判的アプローチ 三野裕之