『戦争マラリア』を伝える八重山平和祈念館に行ってきました

太平洋戦争で激しい地上戦が繰り広げられた沖縄本島。約20万人が亡くなり、そのうち約9万4000人は沖縄県民の犠牲者と言われています。地上戦が展開された地域で「4人に1人の住民が命を落とした」と、15日付の琉球新報に記されていました。

沖縄本島から南西に400キロほどの位置に、日本最西端の与那国島を含む八重山諸島があります。ここでは、戦時中に軍の命令によって、マラリアがある地域に強制避難を命じられて多くの人が命を落とした『戦争マラリア』と呼ばれる惨劇が発生しました。石垣市内にある八重山平和祈念館では、戦争マラリアの被害について知ることができます。

 

八重山平和祈念館(石垣市新栄町、18日筆者撮影)

 

マラリアとは、マラリア原虫と言われる小さな生物が赤血球に侵入することで引き起こされ、発熱や嘔吐の症状が現れます。ハマダラ蚊などアノフエレス属の蚊を媒介として感染が広がります。2017年には、世界で推計43万5千人が死亡しました。16世紀にオランダ船が西表島に漂着し、マラリアが風土病化したとされています。八重山地域ではフーキィと呼ばれ、沖縄本島ではヤキーと呼ばれているようです。

琉球政府文教局研究調査課の「琉球資料 第一集」によると、八重山地域の空襲その他による戦没者は174名なのに対し、マラリアによる死亡者の数は3,647名に達したと記されています。空襲の20倍近い死者が、マラリアによって生じていることになります。八重山平和祈念館の資料からも、日本軍はマラリアがあることを知りながら、住民を感染の危険が高い地域に疎開させたようです。

16年5月11日の朝日新聞夕刊では、「米英の軍隊が上陸すると日本軍の情報が住民から漏れる。それを防ぐために危険なマラリア地帯に囲い込んだと証言する元兵士がいます」と振り返る男性の言葉が掲載されています。マラリアが命を落とす危険な病気だということは住民が一番よく知っているはずです。それでも、ある女性は「言うことを聞かないと切る」と、軍刀を振り上げられ、マラリア有病地域に疎開させられたそうです。

八重山平和祈念館は、マラリア犠牲者への慰謝事業として建設された背景があります。1989年に遺族が国家補償を求めて沖縄戦強制疎開マラリア犠牲者援護会を結成したものの、個人補償には至らず、97年に慰霊碑や後世に伝える祈念館が建設されました。

 

近年、八重山地域は国防の観点から注目が集まっています。15日付の八重山毎日新聞によると「八重山は戦後、自衛隊も米軍も存在していなかったが、2016年に与那国町に自衛隊沿岸監視部隊が配備され、石垣島でも来春の完成を目指して陸自駐屯地の建設工事が進められている」。防衛拠点として注目されている現状が書かれています。ローカル紙である月刊やいま5月号では、米軍が「台湾有事の際に石垣島を司令本部として使わせてくれ」と、1月6日の日米安全保障協議委員会(2プラス2)で打診したと掲載されています。

戦時中はマラリアで苦しみ、今なお国防の拠点として注目を集める八重山諸島。本土決戦を経て基地問題を抱える沖縄本島と異なる、日本西端の島々が抱える悲しい歴史と厳しい現状に触れる旅でした。

 

石垣の泡盛『八重泉』(筆者撮影)

 

参考記事:

15日付 八重山毎日新聞 1面「きょう復帰50年 沖縄と東京で記念式典」

月間やいま 5月号 やいま論壇「人頭税とミサイル配備」

2016年5月11日付 朝日新聞夕刊 1面「強制避難 軍が招いた悲劇」

1993年8月15日付 朝日新聞朝刊 31面「戦後補償を 八重山諸島住民のマラリア地帯強制疎開」

 

参考資料:

八重山平和祈念館 当館について