沖縄は本土復帰50年の大きな節目を迎えました。15日には「沖縄復帰50年式典」が沖縄県と東京都の会場を繋いで開かれ、岸田首相をはじめとする政府関係者や沖縄県の玉城知事、米軍関係者などが集まりました。天皇陛下もオンラインでご出席されました。
1945年の敗戦以降、日本は戦争をしていません。米軍基地が朝鮮戦争に使用されたり、最近になって米軍との核共有が議論されたりはするものの、日本の平和は守られてきたと言えると思います。
しかし、玉城知事は、復帰時の「沖縄を平和の島にする」という目標が未だ達成されていないと訴えます。事実、沖縄県が日本の国土面積に占める割合は0.6%に過ぎないにも関わらず、70.3%の在日米軍専用施設が集中しています。また本土との経済格差も深刻で、一人当たり県民取得は全国最低水準が続いていると言います。
これらの報道に対して強く思うのは、本土の人々は沖縄のことをどれほど真剣に考えてきたのだろうか、ということです。政府や自民党など、特定の人々に限るものではありません。問題に対する認識には、沖縄と本土で大きな隔たりがあると感じます。
私には、沖縄戦について学校できちんと習った記憶がありません。中学3年生の2学期に、歴史の授業で太平洋戦争を扱いました。しかし、高校受験が迫るなか、学校側は指導要領をもとに所定の授業を終わらせることに追われ、年表の数字と「戦争はいけない」という価値観だけが押し付けられて終わったような気がします。その後、高校で日本史を選択しなかった私が、沖縄戦について学ぶことはありませんでした。大学生になり記事を執筆する活動をしなかったら、今でも暗記事項として以上の価値を持つことはなかったと思います。
もちろん教育の質を一気に改善させることは、教職員の負担や生徒数、授業時間の問題から、簡単に達成できることではありません。また、「戦争はいけない」という価値観は正しいものであると感じます。
しかし、沖縄戦について詳しく授業で触れられないこと、なぜ「戦争はいけない」のかを真正面からきちんと考える機会がほとんどないことは、「戦争の放棄」を憲法に掲げる日本にとって、戦後の歴史教育の欠陥の一つであると思います。
「歴史」とは絶対的な事実ではありません。常にある特定の視点から語られるものです。ウクライナ危機を考えると、わかりやすいかもしれません。ロシアのウクライナ侵攻について、ロシア国内で語られる歴史とウクライナ国内で語られる歴史は異なります。大切なのは、どちらが正しいかではなく、自分が学んでいる歴史が誰かによって編集されたものであることを認識し、歴史観の押し付けに対して批判的になることだと思います。
16日付の朝日新聞に、復帰当時小学5年生だった沖縄の少女の詩が掲載されていました。これを読んだ私たちが思うことは何でしょう。
「日本の人々よ」という問いかけに、私たちはきちんと応えられているでしょうか。
日本の歴史とは、一体誰の歴史なのでしょうか。
以下が抜粋です。
『私のねがい』
復帰は
パスポートなしで
本土への行き来ができる
算数の本に出ているような
円生活に入る
1ドルは308円にかわり
お店では
今、わたしの着ている
7ドルのスカートが
2156円になる
お米が
バナナが
ノートが
何でもかんでも
×308
きっと、頭が
こんがらがるだろうな
毒ガス
ばく音
ひきにげ
B52
苦しかった沖縄
復帰で
沖縄はほんとに
すくわれるのだろうか
沖縄には
日本復帰で
平和になりたいという
強い強いねがいがある
日本の人々よ
それに答えて
沖縄を
平和な県にしてほしい
参考記事
16日付 朝日新聞朝刊(北海道14版)1面 「50年 『平和の島』達成されず」
16日付 朝日新聞朝刊(北海道14版)25面(社会)「平和になりたい 50年前の詩」
16日付 読売新聞朝刊(北海道12版)6面(特別面)「沖縄復帰50年」