熊本城と首里城の復興の形 歴史の魅せ方

熊本城を訪れ、地震からの復興ぶりを目の当たりにした筆者は、「歴史的価値」がどこに見出されるのか疑問に思いました。地震や火災で被災した歴史的な建築物、熊本城と首里城の復興過程から考えます。

日本三大名城の一つである熊本城は、2016年の熊本地震で国指定重要文化財建築物13棟全てが被災しました。長塀(ながべい)はその代表で、全長242メートルの壁が80メートルにわたり倒壊。その他にも大天守、小天守と並んで「第三の天守」とも呼ばれる宇土櫓(うとやぐら)は南側の続櫓(つづきやぐら)が倒壊するなど、甚大な被害となりました。城内の石垣が崩れ、以前は観光ルートにもなっていた道が封鎖されているところもあります。

長塀、宇土櫓、石垣などは築城当時の姿を保っていた非常に歴史的価値の高い建築物ですが、いまだに被災当時のままの姿で残されたものも少なくありません。一方大ダメージを受けたとして注目されていた「復興のシンボル」ともいえる天守閣は、1960年に再建された鉄骨鉄筋コンクリートの近代建築です。重要文化財ではありませんが急ピッチで復旧が進みました。石垣は崩れた部分を拾い集め、数少ない資料をもとに石垣を積み直し、被災前の姿に戻すために尽力した結果、天守閣は昨年6月から一般公開が始まりました。

回収した石垣はモルタルを吹き付け、ネットで保護するなど、安全対策を行っている(5月7日筆者撮影)

一方の首里城。沖縄の歴史や文化を象徴し、琉球王国の歴史を物語る存在でしたが、2019年の火災により正殿を含む建物9棟が焼損しました。首里城正殿基壇の遺構は「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の一つとして2000年に世界文化遺産に登録されています。基壇とは建物を支える土台のことで、正殿建物が少なくとも過去に7回は建て替えが行われていたことを伝えています。今回の火災で大きな被害を受けた正殿は、沖縄戦で失われた琉球王国のシンボルの復元事業として1992年に建てられたものです。

ほとんど建物が残っていない首里城。(2021年11月14日筆者撮影)

いずれの史跡も歴史的価値の高いものであり、市民にとって「シンボル」「心の拠り所」として地域に根付いています。火災が起きた当時、沖縄の友人が「信じられない。身近にあったものだから」と声を震わせていた様子を今でも鮮明に覚えています。しかし、そこにあった熊本城天守や首里城正殿といった「シンボル」はそれぞれ62年前、30年前に再建されたもので、それ自体は歴史的に重要な建造物であるとは言えないでしょう。

 

先日初めて熊本城に訪れた筆者は、歴史的外観を持つ一方で、内部は博物館のような展示場であったことに驚きました。内部まで完全に再現していると思っていたからです。地下1階から最上階の6階に向けて熊本城にまつわる歴史をたどる展示がされており、模型や動画を駆使した当時の様子の再現や解説は好奇心をくすぐられるものでした。魅せ方が非常に上手なのです。城内部を完全に歴史博物館にするという、この大胆な建物の利用は、江戸時代から現存する城などでは実現できなかったことでしょう。

ガイドの男性は、「再建後にエレベーターが設置されたおかげで、多くの人が最上階まで上れるようになった」と話しています。一人でも多くの人に城や展示を見てもらい、歴史や文化を考えるきっかけとしてもらおうと、バリアフリーを以前より積極的に取り入れられていることも分かります。「熊本城がよくわかる展示になっていて、展示内容は変えることもできる」とのこと。城の外観だけではなく、城内も「展示」という形で熊本城の歴史的価値を継承する一助となっています。さらに公式アプリのAR(拡張現実)機能では現在の風景に古写真を重ねた風景を楽しむことができるなど、現代に合わせた進化や技術の導入が見られます。

10日付の熊本日日新聞には熊本城の活用に関するインタビュー記事が掲載されていました。「特別史跡である熊本城は、保存についての議論は活発だが、活用についての議論はほとんどされていない」と指摘するのは、熊本城前地区まちづくり協議会事務局長の西嶋公一さんです。文化財の活用を考える際には「当時の様子をそっくりまねるだけでなく、過去の事象の意味を捉え、今を生きるわれわれならどうするかを考えることが、今日的課題に対応することにつながる」と話しています。保存だけでなく活用まで考えることで、街のシンボルとしての価値を創造し、史跡の歴史的価値も高められるのではないかと思い至りました。

首里城は「首里城復興へのあゆみ」と題し、2026年の再建に向けた工事を進めるのに並行して、焼けて崩れた瓦や柱を展示したり、工事の過程が分かるパネルを設置したりすることで、復興の過程を見せる工夫をしています。筆者が訪れた昨年11月にはほとんどが被災当時のままでしたが、多くの観光客でにぎわっていました。「沖縄の心の拠り所、新たなる沖縄のシンボルとなれますよう」と復元への思いが首里城公園のホームページに記載されています。

首里城正殿の屋根にあった龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)の一部。少し焦げ臭かった(2021年11月14日筆者撮影)

熊本城と首里城はどちらも「見せる復興」がテーマです。現状を知り、被災と向き合い、そして歴史を後世に伝える。シンボルとされている2つの建造物は必ずしも歴史的に重要なものであるとは言えませんが、史跡全体の歴史的価値を高め、人々の心に残り続けるための役割を果たしているといえるでしょう。時代や環境、その土地で求められる役割にあった歴史の魅せ方を。熊本城は現代にあわせた復興を、首里城は再現を目指す復興に挑んでいます。

復旧した熊本城。小さな子供を連れた親子も見られる(5月7日筆者撮影)

 

参考記事:

10日付 熊本日日新聞 19面 文化 熊本城を歩く「“日常”を楽しめる場に」

2021年4月21日付 読売新聞オンライン 「天守閣は復旧したが…熊本城完全復活までの遠い道のり」

参考資料:

熊本城ホームページ

首里城公園ホームページ