児童93人全員が無事避難できた請戸小 学校現場を考える

昨年10月、福島県初の震災遺構として整備された浪江町の請戸小学校が公開されました。教職員の適格な判断により、当時登校していた児童93人全員が無事に避難できたことで知られています。

震災から11年目となる今月11日、筆者は請戸小を訪れました。通常は300円の入館料がかかりますが、11日に限って無料で公開されました。駐車場には県外ナンバーが目につき、多くの人が関心をもっていることがわかります。

 

震災遺構として保存されている請戸小学校(筆者撮影)

 

建物に入ると、請戸小の歴史や行事に関するパネルが展示されています。概要の説明が終わると、順路は校舎の中へ。剥がれた天井や床、倒れて錆びたロッカーと向き合わされます。校長室にある重厚な作りの金庫も津波でなぎ倒され、錆びた状態で展示されています。もし1階に取り残された児童がいたら、絶対に助からなかったことでしょう。津波の威力を痛感させられました。

 

請戸小の1階。天井が剥がれ落ち、ロッカーが倒されている(筆者撮影)

 

請戸小を訪れて、筆者は宮城県石巻市の大川小を思い出さずにはいられませんでした。74人の児童と10人の教職員が犠牲になった大川小では、今も4人の生徒が行方不明になっています。19年10月には、大川小の防災体制に不備があったとして損害賠償を求めた裁判で、遺族の勝訴が確定しました。

 

請戸小や大川小の事例からも分かる通り、教員の判断が児童の生死を分けるといっても過言ではありません。請戸小では地震直後、教頭先生だけが津波到達の間際まで学校に残り、児童を迎えに来た保護者に避難を促したといいます。その間、児童は教職員とともに大平山に避難することができました。

しかし、近年は教員不足が深刻になっています。時間外労働をして目先の仕事をこなすのが当たり前となっている現在の教育現場では、十分な防災対策を求めることができないかもしれません。児童が安心して勉強ができる環境づくりのために、教員の処遇改善が求められているのではないかと感じました。

 

児童が避難した大平山のふもとに位置する浪江町営大平山霊園(11日午前6時24分、筆者撮影)

 

参考記事:

13日付 読売新聞埼玉12版朝刊24面「防災ニッポン 夜間の津波避難」

13日付 朝日新聞朝刊福島13版23面「遺構・請戸小 3.11に訪ねて」