日本の学歴社会、これでいいのか

2月に入り、受験シーズンもいよいよ大詰めです。

毎年、この時期になると、合格者掲示板に自分の番号を見つけた高校受験、もっと頑張れたはずだと後悔した大学受験の頃を思い出します。1,2年後の大学入試をどこかで意識していた高校時代。実際の受験を終えた後に振り返ると、これがベストだったのだろうか、そんなことをふと考えてしまいます。

私は入試の際、国語、英語、世界史で受けました。まず1年生で平均点すら取れたことのない理科3科目を捨て、翌年にはすぐ数学に追いつけなくなり・・・。そんな教科を勉強するのが不安だったのか面倒だったのか忘れてしまいましたが、3年生になった頃には、私立文系志望、いわゆる「私文」が出来上がりました。こんな流れで志望校を選びましたが、もちろん、経済的な理由や「○○大学にどうしても行きたい!」という情熱から、苦手の教科を懸命に勉強する友人もいました。

特段、今の学生生活に不満を抱いてはいませんが、もっと将来を見据えながら10代を過ごせばよかったと感じます。たくさん勉強をして、難関大学に入ることができれば良い会社に就職でき、安定的にいいお給料がもらえるからという理由からではありません。様々なことにアンテナを張っていれば、その分、将来の可能性も広がっていただろうと思うからです。

敷かれたレールに乗っかって、「入試科目」という分岐点でトロッコを操縦していく。だけど明確な目的地があるわけではない。決断を迫られたタイミングで、その場その場を乗り切っていく。そんな感じで過ごしてしまいました。

そんなふうに思えるのは、大学入試というものから距離を置き、多くの経験を積んだためでしょう。早々と「受験だ、受験」と発破をかけられ、目指すなら国立、私立なら早慶。もちろん、有名なところほど、最先端の研究に取り組んでいたり、著名な学者を教授陣に迎えたりしています。しかし、そういった理由なしに「頭がいい」から、学歴に箔を付けれるから、大学に入りたいというのは違うのだと思います。

進学を含め、どういった動機で進路を決めるかは、個人の自由です。それでも、今年の大学共通テストたった2日の間に起きた、現役高校生による殺傷事件や警察まで動いた試験問題流出事件を見る限り、とにかくいい大学に入ることが絶対視されており、受験生には並々ならぬプレッシャーがかかっているのではないかと感じます。いい大学に入らなければいい暮らしはできない、そんな格差社会の病根さえ見えてきます。

なんのために大学に入るのか。有名だから?頭がいいから?就活に有利だから?将来お金をたくさん貰えるから?日本の大学生は勉強しないとよく言われますが、大学名それ自体に価値がある「就職予備校」のような存在になってしまっているからでしょう。学歴は努力の証、だから当然に評価ポイントにもなるという話を聞いたことがありますが、人生の最初の20年弱で残りの命運が決まるなんて理不尽じゃないかと思います。

学ぶことはいいことだと思います。しかし、学歴社会のレールから外れてはいけないという考えは捨てるべきではないでしょうか。学歴と収入に関連がある現実が横たわっていますが、進路は「いい学校」に入ることだけではないということを、中高生に伝えるべきだと思います。この偏差値至上主義的な社会のシステムが早く変わってくれることを願います。

 

参考記事:

1月31日付日本経済新聞朝刊7面「2030年の世界、想像できますか 〈教育〉学歴よりスキル重視」