2020東京大会が遂に閉幕しました。昨晩はパラリンピックの閉会式。夜空に打ち上がった色とりどりの花火を見て、様々なことを想いました。4年に一度の祭典が終わったことに対する寂しさ。途中で中止にならず、無事終わったことに対する安堵。感謝の気持ちも湧いてきました。組織委員会の皆さん、ボランティアの皆さん、警備の皆さん、医療関係者の皆さん、そして菅総理にも感謝申し上げます。本当に有難うございました。
特に、菅総理は1年間ずっと批判の矢面に立ち続け、自身の支持率低下と引き換えに、世界のアスリートが活躍できる場所を死守しました。政治家の責務を果たしたと思います。過酷な練習に日々取り組み、苦境を乗り越えてきた選手が喜ぶ姿を目にすると、開催されて本当に良かった。努力した人が報われる社会で良かったと筆者はつくづく感じます。
懸念されていた医療現場への負担は最小限に抑えられ、海外から持ち込まれたウイルスが拡散することはありませんでした。1.5万人超の選手が入国しながら、感染者は約800人。特筆すべきは、クラスターの発生数1件、選手の入院も僅か1人で済んだことです。感染拡大防止策は十分に機能しました。五輪のせいで自粛ムードが緩み、間接的に感染拡大を招いたとの批判があります。しかし、自粛しない人々の話を聞く限り、中止されていても、外出や会食の頻度に変わりはなかっただろうという意見が多く、コロナ第5波との相関性は低かったと思います。
大会の全てが讃えられる訳ではありません。開催に至るまでの運営は不手際の連続でした。新国立競技場の計画変更。五輪エンブレムの盗作疑惑。IOC理事に対する贈賄発覚。マラソンと競歩の札幌移転。組織委前会長の女性差別発言。開会式演出チーム関係者らの不祥事。コロナ禍にも見舞われて、災難続きの「呪われた大会」だったと言っても過言ではないでしょう。「コンパクト五輪」を称しながら、競技場の建設等に莫大な費用がかかったことも失敗でした。
筆者は、これらの問題が日本社会の様々な側面に起因していると思います。例えば、都や組織委の意思決定は、政治家の支持率や利権に左右されがちで、民主主義の未熟さを露呈しました。女性や障碍者への差別発言は、彼ら個々人だけが異常な思想を有していたという訳ではなく、世界中に跋扈する差別の典型例です。SDGsの実践を掲げながら、弁当や医療物資が大量に廃棄された件は、スローガンだけが先走りして、内容が徹底されていないという残念な企業にありがちな問題を連想させます。五輪の諸問題は、社会の不完全な面を晒し出したのです。
国際パラリンピック委員会のパーソンズ会長は、閉会式の挨拶で「金継ぎ(きんつぎ)」に言及しつつ、この不完全な社会が目指すべき姿を提起しました。「金継ぎ」とは、割れてしまった陶器の傷を敢えて隠さず、漆と金でヒビを埋めて修復する日本の伝統技法です。壊れた器を味わい深い魅力ある器へと変身させます。同会長は、不完全さを隠さず受け入れた上で修復する、という考え方がパラリンピックの理念、ひいては共生社会の実現に繋がると訴えました。
そうです。黒歴史として闇に葬る必要はありません。私たち日本国民も、東京五輪を今一度振り返り、咀嚼したうえで、不完全に終わった部分を受け入れるべきです。誤りをうまく直しつつ、教訓を糧に、前へ進んでいきましょう!