難民政策に一石を投じるショッキングな写真が報じられました。浜辺でうつぶせに倒れる男の子の遺体が写されています。この男児はシリア出身。家族や他のシリア難民とともに乗っていたボートは、ギリシャ・コス島を目指している途中に沈没しました。この写真は、欧州各国に受け入れ政策の転換や難民支援への寄付の急増など、大きな変化をもたらしています。
フランス紙ルモンドは、一面トップでこの写真を掲載しました。その隣には「目をそらすな」と題した社説が並んでいます。イギリス紙インディペンデントも一面トップで使用し、「欧州は直面する人道危機の分かれ道になる」と掲載の理由を付しています。これらの報道を受けて、フランスのオランド大統領は「責任を痛感した」と述べ、難民受け入れのための文書をドイツのメルケル首相とともにEUに提出しました。イギリスのキャメロン首相も「英国には難民を助ける道義的責任がある」として、シリア難民数千人の受け入れを表明しました。この写真が報じられなければ、難民受け入れに消極的だった英仏がすぐに政策を転換することはなかったでしょう。
日本も難民政策について議論しなければいけない状況にあることは十分に理解しています。しかし今回は、国内のメディアはどう報じたのか、世論を変化させる力を持っている報道機関はどうすべきなのでしょうか。
各紙はどんな画像を載せたでしょうか。イギリス各紙の一面を遺体が見えないように並べる。遺体が見えるようにイギリス紙を写す。生前お父さんと手をつないでいる男の子の写真を紹介する。横におことわりを付して遺体の写真を載せる。各社の対応には、それぞれ編集に携わった人々が考えを巡らし、たどりついた結論が表れています。また、テレビ各社は遺体にモザイクをかけるなどして報道しました。
日本が、地理的に遠い国のことに関心が薄いのは周知の事実です。難民問題でも、昨年、難民と認定したのはたったの11人です。非常に消極的で、関心を持とうとしない日本人にとって、今回の報道は悲惨な難民問題の実情を知る機会になったと思います。もちろん子どもからお年寄りまで誰でも目にすることができる新聞やテレビが、安易に遺体の写真を伝えることは倫理的によくないという意見もあります。亡くなった方や遺族の方の尊厳の配慮もしなければなりません。文章で伝えきれれば写真はいらないという意見もあるかもしれません。インターネットで見たい人だけが見ればいいかもしれません。
それでも、シリアから離れた日本でもこの写真が報道されることによって、私たちが難民問題について考える機運は少しでも高まるでしょうし、政府も難民受け入れについての姿勢を転換するかもしれません。支援金が集まるかもしれません。すべて「かもしれない」になってしまいますが、報道がなければ関心を持つこともなく、人々が関心を持つことも、「かもしれない」が起きることもありません。
これを書いている最中にも、母と高校生の弟が写真を見せてほしいと言ってきました。少しずつでも関心を持つ人々を増やすには、今回の悲惨な報道写真は必要であった。そう筆者は考えます。
参考記事:
5日付 朝日新聞朝刊(東京13版)13面(国際)「男児漂着 カナダにも衝撃」
5日付 読売新聞朝刊(東京13版)7面(国際)「『移民危機』揺らぐ欧州」
4日付 東京新聞夕刊(東京D版)2面「難民男児遺体 欧州に衝撃」