政府は14日、戦後70年の安倍首相談話を閣議決定しました。速報を携帯電話で受け取った私は、その場で全文を読みました。その時の率直な感想は「歴史を振り返る良い教科書だな」というものでした。読んでいて腑に落ちる気がしました。戦後生まれ、ましてや平成生まれの私の世代にとっては、太平洋戦争は遠い昔話のように聞こえてしまうかもしれません。それなのになぜ自然に受け止められたのか。それは、安倍談話の「未来志向」にあるのかもしれません。
「あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」。談話の中で安倍首相はこう語りました。この言葉は私の心に強く残っています。わたしたちの世代が戦争という悲しい過去を忘れて、前に突き進んでいくという意味で受け取ったのではありません。歴史認識について未だに禍根の残る中韓との関係において、心のどこかに存在する、えもいわれぬ罪悪感。かと言って、自分たちが自らの手で彼らを苦しめたのかというと、そうではない。その矛盾するような気持ち。安倍首相の談話から感じたことは、このような気持ちを代弁してくれるような、「反省しながらも前を向いて平和に貢献していこう」という姿勢だったのかもしれません。
「運転中はバックミラーを常に確認しなければならないが、より注意を注ぐべきは目の前の道だ」。シンガポールのゴー・チョクトン前首相が5月の国際交流会議「アジアの未来」で、未来志向の大切さを説いた言葉です。私はこの言葉に「サイドミラー」も付け加えたいと思います。過去を忘れず振り返りつつ、横並びに走る他国との距離感にを注意を払いながら、しっかり前を見て走ることはできないのでしょうか。現在の日本はどうでしょうか。サイドミラーを見ると非常に危うい距離感で走っているように思えることがしばしばです。安全保障は国内の意見が対立したまま議論の時間が浪費され、TPPも先延ばしに次ぐ先延ばし。どうすれば日本という車は上手く走っていけるのでしょうか。
それは日本だけが悩んでも仕方がない問題でもあります。事故を起こさずに運転できるのは、お互いが車間に気を付けて前向きに走っているからです。結局、国家間の関係も同じ事ではないでしょうか。お互いの国が自らの私利私欲にかまけて暴走することなく、安全運転に努めること。バックミラーに映り込む共通の景色に注意しながら、目線はしっかりと前に向けること。そんな当たり前のことが、一番大事なのです。では、実際にできるのか。車に乗る人は基本的に皆、できています。その国民が主権者である国にできないことはないでしょう。
参考記事:8月15日付、各紙関連面