27日付の日経新聞夕刊の一面に「育て!SDGsネーティブ」と題した記事が載っていました。滋賀県守山市にある立命館守山高校の「社会問題の解決に取り組む授業」や、そこで学んだ教育格差問題をさらに深く学ぼうと進路を決めた生徒が紹介されていました。同校の教諭はSDGs教育の狙いについて「社会課題の解決に得意な分野で取り組み、最終的には起業などのキャリアに結びつくことを目指している」と語っています。
これを読んで、「こんな環境で勉強したかったなあ」と思いました。振り返ってみると、高校の勉強と言えば、「大学受験のための勉強」。中学の勉強と言えば、「高校受験のための勉強」でした。小学校の頃だって、「なぜ勉強をするんですか」と聞いて「将来のため」以外の答えをしてくれた先生に出会った記憶がありません。
今はどうなのだろう。来年大学を受験する弟に尋ねました。ちょうど高校主催の大学説明会から帰ってきたところでした。「何のために大学に行くって教わった?」と聞くと、「就職のための手段だって」と返ってきました。そう簡単には変わりません。これを聞いて思い出したのは、私が受験生だったときの体験です。「どうしてその大学のその学科に行くの」と聞いた級友からの「この大学に行きたいから」「自分の『得意科目』的に一番行きやすいから」という答えに戸惑いました。
「迷ったらとりあえず大学でしょ」「やりたいことないけど、とりあえず就職活動始めなきゃ」「すごい、あなたはエントリーシートに書けることがたくさんあるね」と言う人に会うと、もやもやした思いにとらわれます。興味のあることをひたすらに追いかける経験ができている人は、どれだけいるのでしょうか。
私は法学部に所属していますが、恥ずかしながら、大学に入るまで法学が「社会科学」「人文科学」「自然科学」のどこに分類されているのかすら知りませんでした。それぞれがどういったカテゴリーで、自分が4年間学ぶことでどんな視座を身に付けられるのか初めて知ったとき、学問の広がりや深さを感じました。法学的な視点が持つ役割を知り、誇らしくも思いました。これから学ぶ分野の位置づけは、進路を決める際に知っておきたかったです。
教育に携わる人には、教え子を固定観念に縛りつけず、「本当に関心を持っているのは何か」「力を発揮できる進路はどれか」をじっくり考えさせる機会を設けてほしいと願います。いまのままでは、中学も、高校も、大学も、いつも次のステージに行くための踏み台でしかありません。
「社会問題を『知識』として学んだだけで終わっては意味がない。生徒が自分の課題として捉え、解決に動くような実践的な教育をするにはどうしたらいいか。教育現場では試行錯誤が続きそうだ」(27日付 日本経済新聞夕刊1面「育て!SDGsネーティブ」より)
参考記事:
27日付 日本経済新聞夕刊(愛知3版)1面「育て!SDGsネーティブ」