28日、米国上院の委員会がオンライン形式で開いた公聴会で、政治に絡むSNSでの投稿の削除や閲覧制限など、運営会社による監視の在り方を巡る議論がなされました。例えばツイッター社は、事実かどうか不明な投稿や、暴力を正当化するような投稿には警告表示を付け、場合によっては削除しています。与党・共和党は、「監視は最小限にするべきだ」と主張し、逆に野党・民主党は現状を「不十分だ」と監視強化を求めました。証人として召喚されたツイッター、フェイスブック、グーグルのSNS大手3社のCEOは両者の板挟みの状況になってしまいました。
私は、SNSの運営会社を「言論の自由に対する最大の脅威」だとする共和党の主張にどうも納得がいきません。
表現の自由、言論の自由が抑圧されることは、決してあってはならないことです。言論活動を通じた自己実現や、国民が政治に参加する民主主義の実現のためには必要不可欠だからです。意見を発する機会を強者が規制することは、弱者の直面している現状が無視され、取り残されてしまう危険性を孕んでいます。
しかし、これらが言えるのは、十分な根拠による真実性の担保がされていることが大前提です。議論することの社会的な目的は、見えていない事実、勘定に入れられていない誰かの犠牲を様々な方向から照らし出すことにあると思います。そこに根拠のない主張が入れば、議論が混乱し、耳を傾けるべき弱者の声がかき消されてしまうでしょう。これは発信者の権力が大きければ大きいほど言えることです。
ワシントン・ポスト紙の集計によれば、トランプ大統領は就任以来、2万回以上の「虚偽や誤解を招く発言、発信」をしたそうです。トランプ氏の誤った情報を含んだ投稿にツイッター社が警告ラベルを表示した際、トランプ氏は「言論の自由の抑圧」「大統領選挙への介入」だとして激しく反発しています。
自分の意見の正当性を主張するのであれば、反発してきた者に「自由を抑圧するな」と言う前に、信憑性のある根拠を示せば良いと思います。SNSは、どうしても意見への賛同者の頭数や声の大きさによって、情報の確かさにバイアスがかかりやすくなっています。だからこそ、第三者がファクトチェックに努め警鐘を鳴らす重要性は高いのではないでしょうか。
参考記事:
30日付 読売新聞朝刊(愛知13版)3面(総合)「『投稿監視』公聴会 米SNS 板挟み」
30日付 朝日新聞朝刊(愛知14版)7面(経済)「米ネット企業3社 公聴会で議員追及」
25日付 朝日新聞朝刊(愛知14版)3面(総合3)「2万回のウソが生んだ一体感」