横田滋さん死去――6月5日、テレビで速報を耳にしました。胸が締め付けられる思いがしました。娘のめぐみさんが拉致されてから苦節43年。講演会や署名運動など、長期間にわたり懸命に継続してきた活動が報われないまま他界。ニュースやドキュメンタリー番組で何度も見た横田滋さんの姿を思い出すと、言葉が出ませんでした。
拉致事件が起きたのは1977年。新潟市に居住する13歳の女子中学生は下校途中に突然誘拐されました。青春真っ盛りのときに自由を奪われ、家族から引き裂かれたのです。
80年代に入って、北朝鮮による拉致の可能性がにわかに浮上しました。97年には被害者の家族会が結成され、滋さんは代表に就任しました。精力的な活動により、救出を求める署名は100万人を超えました。ついには政府を動かし、2002年には5人の帰国が実現しました。しかし、めぐみさんを始めとする被害者全員を取り返すことは出来ませんでした。
今振り返ると、14年も大きなチャンスでした。横田夫妻はモンゴルでめぐみさんの娘とされる女性と面会することができました。北朝鮮は特別調査委員会を設置しました。ただ、長距離弾道ミサイルの発射に対しての制裁措置が課されると、事態は一変。以来、問題解決の歩みは一切進んでいません。
拉致被害者とその家族の高齢化は年々進んでいます。政府は行動を急ぐべきなのに、何も出来ていません。ミサイル発射問題や米国の意向との兼ね合いもあるので、交渉は難しいと思います。それでも、何か行動を起こせないのでしょうか。
解決への意欲に欠ける政府を督促するには、私たち日本国民が再び関心を持つことが欠かせません。街頭演説を聞いて「またか」と思ってはいけません。問題を風化させてしまいます。逆に、私たちが強い関心を持ち続ければ、政府を動かすことに繋がります。
必ず取り戻す。決意新たに、今こそ抗議の声を上げましょう。
参考記事:
8日付 読売新聞朝刊(大阪13版)24面「『会いたい』横田滋の43年」