「血のつながりがなくても同じ釜の飯を食べれば皆家族」。これが我が家のスタンスです。私の両親は里親を引き受けていました。父が36歳、母が30歳、私が5歳、妹が2歳のときからです。里子を含め、私の家族は5人となりました。当時、私の住んでいた地域に里親の活動をしている家庭はいない。そのため好奇な目で見られたこともありました。でも、私は当たり前のように一緒に大きくなったので特別なことをしているわけでも、えらいことをしているつもりもありません。ただ私にとって血のつながっていない家族が増えただけです。ただそれだけ。
私の経験から必ずしも血のつながりだけが家族ではないと信じています。安心できる場所を共有し、いろいろな場面を乗り越えていくことで時間をかけゆっくりと家族になるのではないでしょうか。
それでも乗り越えなくてはいけない問題があります。育てられた子どもが抱く自分の存在への疑問です。自身と向き合うために必要なのは自分のルーツを知ることのできる公的な仕組みです。昨年11月、「子どもの権利批准20周年記念フォーラム」(主催:NPO法人 SOS子どもの村Japan)に参加しました。里親家庭や児童養護施設で暮らしたことのある当事者たちの声を聞きました。たしかに家族になるうえでの空間の共有は大切です。でも、どんなに時間や空間を共有しても家族になれない部分もあります。自分に関わる疑問。これにきちんと向き合わなければなりません。知りたいと思ったときに知ることのできる制度が社会に求められます。
児童養護施設には約2万8000人が暮らしています。2011年3月、厚生労働省は「里親委託ガイドライン」を策定。これによって里親委託を推進する国の方針が大きく転換します。社会的養護のなかで、里親委託を優先して検討することになりました。一方で、不妊治療を受けているカップルは30万組。医療技術の進歩によって不妊治療をする人が多くなりました。そんな今だからこそ家族のありかたについて一人ひとり考える必要があるはずです。血のつながりだけが家族でしょうか。過ごした時間・空間でしょうか。それとも別のものでしょうか…。私が中学生の時、その子は実の親がいる家庭に戻りました。一緒に暮らしていなくても、今でも家族だと思っています。その子にとって頼ることのできる居場所の一つとして我が家があるからです。家族のありかたはさまざまです。
参考記事:
4月24日付、27日付、28日付、29日付、30日付、5月1日付、
読売新聞 東京朝刊 連載「医療ルネサンス」揺れる命 新しい家族の形