9月も半ばになり、少しずつ秋の訪れを感じられるようになりました。楽しかった夏休みが終わり、多くの学校で2学期が始まりました。そこで、筆者の夏休み最大のイベントであった、オーストラリアでの短期留学とそこで得た学びを振り返っていきたいと思います。
今夏の留学プログラムは、5週間の現地滞在を通して、語学力向上と異文化理解そして、社会問題を学ぶことを目的としていました。そのため、様々な施設へのフィールドワークやボランティア活動から社会問題について考え、ホームステイを通じてオーストラリアの生活や文化に触れる機会がありました。そして、身の周り問題に対する姿勢などを日本と比較し、理解を深めました。
今回は、活動を通じて感じた日本との違いについて紹介したいと思います。最も違うなと感じたのは、物事への考え方や社会問題への向き合い方などいわゆる「国民性」と言われる部分です。自分は何が好きで何が嫌いなのか。ある問題に対してどのような意見や立場であるのか。何がしたいのか、したくないのか。多くの人が外国人は自身のアイデンティティをしっかり持っているという印象を持っているでしょうし、筆者もそのように思ってきました。
その認識は正しいと思います。ホームステイで重要なことは自分の意見や好き嫌いをしっかりホストファミリーに伝えることだと事前指導で言われていました。例えば、出された料理が好きではなかったら、無理して食べるのではなく、「好きではないから食べることができない」と伝えるといったことです。日本であれば、せっかく用意してもらった料理を嫌いだから残すことは失礼な振る舞いと考えます。また、時に自分の意見を通すことがわがままだと捉えられることもあります。しかし、無理をして食べている方がホストファミリーは悲しい、だからこそしっかり伝えなさいと言われました。
こういった明確な立場を示せるのは、問題について考える時間が十分に与えられ、発表する機会が皆に保障されているからだと思います。今回のプログラムの中でも、あなたはどう思うと問いかけられたり、学んだことをまとめて自身の言葉で発表したりといった機会が多くありました。このような自分と向き合って考える場面が日常的にあることが、個性豊かなアイデンティティを確立することにつながっていくのだろうと思います。
また、どんな意見であっても受け入れる社会の在り方も重要な役割を果たしていると感じました。日本人のように「空気を読んで」という煩わしい配慮をしなくてもいいと考えたら、随分自由な感じはしますね。ただ、雰囲気作りに日々勤しんできた筆者を始めとする日本人には、YESかNOの世界でつらいものがありました。
また、現地はボランティア活動が盛んであり、積極的に人と関わりを持とうとする、フレンドリーな姿勢も印象的でした。多くのコミュニティを訪ねましたが、どこへ行っても何でも聞いてというオープンな感じがあり、温かく受け入れてくださいました。自身の経験を見ず知らずの学生に話すことは簡単ではありません。ホストファミリーは、その中でも特にオープンマインドで、他人に対する障壁や警戒心のようなものがあまりないと思います。そういった方がいることで、誰一人取り残されないような助け合いの社会を身をもって体験することができました。物理的な距離はあっても、心の距離は近く、煩わしさもなく過ごせるのはいいなと思いませんか。
「自由で自分をしっかり持っている」。そうなる理由を今回の滞在を通じて知ることができました。周りになんとなく合わせることが常態化していることに気づかされましたし、それが自分はどう思うのかという形で自身と向き合うことから逃げる要因になっているのかなと感じました。
また、日本人はもう少し自分の胸の内を語ってもいいのかと思います。電車で隣に座っている人と会話をするというオーストラリア人のようにはいかなくても、親しい人に自分の深いところを話し、知ってもらうことは積極的にするべきだと思います。滞在を通じて日本との違いが見えたことで、日本人の表面的で決して本心を明かさないような人間関係は社会問題を深刻化させている要因であるとも感じます。なにより、こういった関係は悲しいですし。誰か助けてくれる人がいると思えるオーストラリアのコミュニティの在り方は参考にするべきでしょう。
まだまだ振り返るところは多くありますが、今回は現地の人々と関わることで感じた違いを書いてみました。自由を求めるなら、自分をしっかり持たなければならないということなのでしょうか。