長崎原爆は小倉に投下されるはずだった 戦争を自身に引き付ける

長崎市の平和公園で9日、長崎原爆犠牲者慰霊平和記念式典が営まれました。参列者らは、原爆が炸裂した午前11時2分に黙祷を捧げ、犠牲者を悼みました。

長崎の街を一瞬にして焦土へと変えた原爆は、小倉(現在の福岡県北九州市)に投下される予定であったということを知っていますか。北九州市民の間では「小倉に原爆が投下されていたら」という問い掛けが世代を超えて語り継がれています。大学入学までを北九州市で過ごした筆者も、祖父母や小学校の先生から聞いたことがありました。

多くの犠牲を生み出した原爆は、なぜ広島と長崎に投下されたのでしょうか。

 

◾︎絞られた投下目標

米国は原爆を投下する都市を決める際、日本の軍隊や工場などがあるか、空襲の被害を受けていなくて原爆の効果がわかりやすいか、ということを基準にしたといいます。こうして、広島や小倉、新潟、長崎、京都が投下目標として挙げられました。

広島は、第1目標となりました。日本軍最大の輸送基地である軍港・宇品があったからです。当時の第2目標は、西日本最大級の兵器工場「小倉陸軍造兵廠(しょう)」が置かれ、軍都としての役割を果たしていた小倉でした。

 

◾︎2つ目の原爆投下予定地・小倉

広島に1つ目の原爆が投下された3日後、2つ目の原爆を搭載した米軍機は、太平洋に浮かぶ米軍飛行場を離陸しました。第2目標であった小倉市街上空では3回旋回しましたが、視界不良により投下を断念。第3目標となっていた長崎へと針路を変更しました。16世紀から貿易港として栄えていた長崎は、明治時代になると海上交通の発達に伴って造船所が設置され、戦時には戦艦や兵器が作られていました。

小倉上空の視界を不良にする要因の1つは、焼夷弾による煙でした。長崎に原爆が投下される前日の8月8日、小倉周辺では大規模な空爆がありました。いわゆる「八幡大空襲」です。B29約120機による焼夷弾攻撃は、八幡製鉄所のある八幡市(現北九州市八幡東区他)を中心に、多くの犠牲者を出しました。

 

◾︎小倉原爆の被害予測

「もし小倉に原爆が投下されていたら」。この想定に答える被害予測が存在します。九州大の故森茂康教授(物理学)が1982年に公表し、小倉にある「平和のまちミュージアム」に一部が展示されています。朝日新聞西部本社が森教授に要請したものでした。

この予測は、長崎における放射線や熱量による被害の実測値を採用し、気象条件や人口分布を踏まえたものです。上空600メートルで、長崎原爆と同じ威力で炸裂したと仮定すると、爆心地から4キロ圏内の死者は5万7千人を超え、被害は山口県にまで及びます。

 

■戦争を自身に引き付ける必要性

原爆投下予定地が小倉から長崎に変更された理由は、当日の空の視界です。たったそれだけで、破壊される街や犠牲になる人は変わりました。

「45年8月9日、小倉上空の視界が良好だったなら」。毎年夏になると、考えてしまいます。小学校での平和学習で、恐ろしい可能性があったことを知りました。曽祖父母らが生きた時代の戦争を、自分ごととして考えるきっかけになったのではないかと、今では思います。

先の大戦が終結してから80年が経過します。少なくとも国内においては武力に脅かされない状況を生きる私たちにとって、戦争の惨禍を想像することは難しいかもしれません。一瞬で生命と街を破壊する原爆が広島・長崎で炸裂したこと、街を焼き尽くす焼夷弾が日本中に投下されたこと。凄惨さを知ることができても、どこか他人事のように感じてしまいます。だからこそ、被害に自身を引き付けて、平和の重要性を考え続ける必要があるのです。

 

参考記事:

・2025年8月10日付 朝日新聞 朝刊1面 「『武力には武力を』やめて」

・2025年8月10日付 読売新聞 朝刊1面 「核廃絶 長崎の使命」

・2025年8月7日付 朝日新聞 朝刊1面 「核廃絶 這ってでも」

・2025年8月7日付 読売新聞 朝刊1面 「広島原爆80年 祈り」

・2025年8月6日付 日経新聞 夕刊1面 「広島 被爆80年の祈り」

・2017年8月6日付 朝日新聞デジタル「原爆のこと知っていますか 深く学ぶためのQ&A」

https://www.asahi.com/articles/ASJ82630SJ82UEHF00M.html

 

・2025年8月8日付 西日本新聞me 「【原爆と80年】『もし小倉に投下されていたら』直接死5万7000人超 狙われた軍都、当初の標的に」

https://www.nishinippon.co.jp/item/1385927/

・NHK 戦争を伝えるミュージアム「原爆が使用されたのはなぜ?どのような被害があった?」

https://www.nhk.or.jp/archives/sensou/special/warmuseum/02/

 

参考資料:

・広島平和記念資料館 「マンハッタン計画」

https://hpmmuseum.jp/modules/exhibition/index.php?action=DocumentView&document_id=1&lang=jpn

・『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』,堀川 惠子,2021年,講談社

(すべて最終閲覧2025年8月14日)