「チリン、チリン……」と、夏の空気を揺らすやさしい音色が境内一帯に広がります。京急川崎大師駅から歩いて数分、赤褐色の山門をくぐった先、境内に設けられた石畳の広場には、全国各地から集められた800種類以上の風鈴が、涼しげなハーモニーを奏でていました。訪れたのは、神奈川県の川崎大師で開催されている「風鈴市」。今年で30回を迎えたこのイベントは、夏の風物詩として地元に活気をもたらしています。
「夏の川崎大師ににぎわいを」と、1996年に先代のご貫首や商店街の人々が始めた小さな催しが、今では5日間にわたって開催される一大イベントへと成長しました。主催は川崎大師観光協会や地元の商業協同組合、そして大本山川崎大師平間寺と、地域と寺社が一体となって取り組んでいます。今年は7月17日から21日まで開かれ、時間帯も連日午前10時から午後5時までと、来場しやすい配慮がなされています。
筆者が訪れたのは土曜日。想像を遥かに超える人出で賑わっていました。浴衣姿の若者、ベビーカーを押す家族連れ、そして外国からの観光客も多く、風鈴を選ぶ眼差しはみな真剣そのもの。風鈴市の醍醐味は、全国各地の職人が手がけた品々を実際に見て、聞いて、選び、購入できることにあります。中には金の風鈴やプラチナ風鈴といった特別展示もあり、現代の人々の感性と日本の伝統が出会う場となっていました。
このようなイベントが、古来の寺院で開催されることには深い意義があります。日本には1,000年以上の歴史を持つ神社仏閣が数多く存在し、その持続性は世界でも注目されています。しかし、伊勢神宮や浅草寺といった華やかな観光名所は例外的で、全国に8万を数える神社仏閣の多くは地元住民に支えられた、こじんまりとした存在です。そして、そうした神社仏閣は今、少子高齢化や地域コミュニティの衰退、そして人々の信仰心の希薄化という厳しい現実に直面しているのです。お寺では、葬儀や法事のお布施、護持費が主な収入源であり、神社ではお賽銭、御祈祷料、授与品料などに支えられています。このような状況で、小さなところほど収入は安定せず、例えば、2016年の時点で全国の神社の約6割が年間収入300万円以下という報告もあります。神職として生活できる人は全体のわずか1割に過ぎず、多くの神社では無償の努力によってようやく存続しているのが実情です。
では、なぜそのような困難な状況下で、風鈴市のようなイベントが盛況を見せるのでしょうか。その一つの鍵は「開かれた場所」としての神社仏閣のあり方にあると思います。神社やお寺は、単なる信仰の場ではなく、人々が集い、一緒に時間を過ごすことができる共有空間でもあります。風鈴市のようなイベントは、宗教的な儀式に馴染みのない人々にとっては、心理的な敷居を自然にまたぐきっかけとなるのです。
また近年、訪日外国人の数が飛躍的に伸びています。25年6月の訪日外国人数は337万人超と、前年同月比で7.6%の増加。年間で見ると2,000万人の大台をわずか半年で突破しました。彼らが求めているのは、単なる観光地巡りではなく、文化体験です。風鈴市のように、日本の伝統文化を「見て」「聞いて」「触れて」「買える」イベントは、まさにそのニーズと合致するでしょう。
もちろん、風鈴市のようなイベントをすべての神社仏閣で実施できるわけではありません。しかし、現代に合った取り組みを通じて人々を惹きつけることは、衰退を避けるための良い方法であり、神社やお寺が多様な形で現代人とつながる場を持つことが求められる時代が来ているのだと感じます。
神社仏閣はただ残せば良いのではありません。人が訪れ、祈り、感じることで初めて生きた存在となります。そして、川崎大師の風鈴市は、まさにその原点を思い出させてくれます。未来へと続く祈りのかたちを、ここから再び紡いでいく──そんな現代の挑戦の息吹が、今日も涼やかな音とともに響いています。
参考記事:
2025年7月19日 800種を超える風鈴、涼やかな音色響かせる 川崎大師で21日まで|朝日新聞
参考資料:
お寺や神社の年収はどれくらい?儲かるいわれているけど、実は厳しいって本当?|ファイナンシャルフィールド(2024.09.03)