芥川賞作家・鈴木結生さんに聞く【前編】 「作家になってから、加速度的に本が増えていきました」

第172回芥川賞を受賞した『ゲーテはすべてを言った』で注目を集める鈴木結生さんは、筆者の通う西南学院大学の先輩です。大学のイベントなどでかねてより交流があったことから、作品の背景や文学を愛する人として思うことについて、伺う機会を得ました。

鈴木さんは、林芙美子文学賞の佳作に選ばれた『人にはどれほどの本がいるか』でデビューし、第2作目『ゲーテはすべてを言った』で今年1月に芥川賞を受賞しました。その後、「携帯遺産」(小説トリッパー2025年春季号)を発表しています。

(5月21日筆者友人撮影 筆者からの質問に回答する鈴木さん)

本稿は前後編に分かれます。前編では、初期3部作と自称する作品への思いや背景を、作品ごとに分けてお届けします。

 

◾︎『ゲーテはすべてを言った』

芥川賞受賞作である本作は、ゲーテ研究の第一人者である博把統一(ひろば・とういち)が、ゲーテのものとされる知らない名言を見つけ、その原典を探す物語です。統一の娘であり大学生の徳歌(のりか)は、「ことば」に対する思いを述べます。

「好きな友達や作家や芸能人の話を聞いてても、あ、今この人差別的なことを言ったな、とか、間違った引用をしているな、とか、ボート・マッチ的に考えてたら、もう誰とも話せなくなる」(『ゲーテはすべてを言った』p156)

 

筆者は、徳歌の思いに共感しました。どれだけ好きな作品を作り出す作家や脚本家、芸能人でも、引っかかることばを使用していたら、それだけで嫌悪感を抱いてしまいます。「普通」という2文字にさえ違和感を抱くことがありました。それは自分の「好き」を狭めているようで、どこか苦しさをも感じます。こうした「ことばへの敏感さ」を、鈴木さんも感じていると言います。

「『ことばへの敏感さ』は、あると思います。それは2つあって、1つ目はやはり『趣味的な領域』です。こんなことばは使いたくない、という思いは強いです。例としては、スマートフォンを『スマホ』と表記したくなくて、『済補』と漢字で表記しました。伊坂幸太郎さんがコンビニエンスストアを『コンビニ』と表記したくないとおっしゃっていて、なんとなくわかったというか。それに影響を受けたのかもしれません」

「2つ目は『政治的な領域』ですね。先ほどの『普通』ということば1つをとっても、その人の自覚性というか、そういうものが現れるわけです。いろいろな人のことばに幻滅する経験はあると思うんだけど、でもやっぱり、全てにおいて正しいことばを選べる人なんていないんですよ。正しいとか美しいって、人によって違うので。ポリコレ的に正しいことばを選ぼうとしても、どこかで間違ってしまうことはあると思う。そんな危険性を孕みながら、それでも、ことばを選んでいくということをやっていきたいわけです」

 

◾︎『人にはどれほどの本がいるか』

本作の主人公・唐蔵餅之絵(からくら・もちのえ)は、膨大な量の蔵書を抱えており、晩年はその処分に費やしていました。彼は紙の本にこだわり、増えていく書籍と広がっていく本棚に価値を見出します。電子書籍が広く使用されるようになった今もなお、同じく蔵書が積み重なっていくことに喜びを感じる人は、少なくありません。紙の本へのこだわりを、鈴木さんも持っているのでしょうか。

「こだわりはめちゃくちゃあります。中学1年生の時に1ヶ月アメリカに行くことがあり、紙の本だと嵩張るからと、両親がkindle(電子書籍端末)を買ってくれたことがありました。でも、1ページも読み進めなかったです。それ以来、本は絶対に紙ですね。書き込んだり付箋を貼ったりということで、慣れ親しんだものでもありますから」

「自分のことで言うと『ゲーテ』が本として出たことは、やっぱり嬉しかったです。記事とかエッセイもそうです。インターネットに載るより新聞に掲載されたときの方が、嬉しかったですね」

紙の本への物質的こだわりがあると言う鈴木さん。自宅には山のように本があるのでしょうか。

「それは山のようにありますよ。部屋の床は、足の踏み場もないです(笑)。でも、想像されるよりは少ないと思います。学生だから部屋も小さいし、定期的に処分していますから。ただ、作家になってから、加速度的に本が増えていきました」

「でも良いことばがあって、ヴァージニア・ウルフの『灯台へ』のラムジー夫人の言葉なんですけど。『本というのは、ひとりでに増殖するらしいわね』(『灯台へ』p40)っていうのは、本当にその通りだと思うんです。買わなくても勝手に増えているような気がするんですよ。まあ買ってるんですけどね(笑)」

 

◾︎『携帯遺産』

本作の主人公は、30歳の気鋭の作家・ 舟暮按です。作中、按は「毎日書くものがあるというのは、小説を書くうえで百害あって一利あるかないか」や「作品に関する細かい疑問(正直これが1番嬉しい)」という思いを吐露します。これまでの作品の主人公は、本を愛し膨大な量の活字に触れてきた人物であったものの、職業作家ではありませんでした。やはり按に対し、作家としてデビューしたご自身を投影しているのでしょうか。

「なんというか、悩ましいところです。モダニズムの作家が、作中に小説家を出すときの自意識みたいな問題で、僕が今まさに修士論文で扱っているものでもあります。もちろん自分の投影っていうところはあると思うんですけど、個人的な思いをなるべく普遍化したいところがあるんです」

「究極的に『作家あるある』がやりたかった。作中、按がいろんな作家の自伝を読むというシーンがありますよね。僕も実際に、いろんな作家の自伝を読んで、最大公約数的に多くの作家が考えていることと、自分が考えていることの一致点みたいなものを入れようとしたんですよ。でも、毎日仕事があるのは百害あって一利あるかないかっていうところは、確かに地声の方が強いかも(笑)」

「1つ強調しておきたいポイントがあって、僕が『携帯遺産』を書いたのは芥川賞を取る前なんです。つまり僕は、職業作家として自立も何もしていない時期に書いていることになります。本作は、何者でもない自分が成功した作家を書けるのか、という挑戦でもありました。小説というのは本当にテクストとして自立しているのか、ということを問いたかったんです」

「おそらく本作を読まれる方は『鈴木は芥川を取った人間』という中で、成功した作家はこんなふうに考えるのかと思いながら読むと思うんだけど、それは意図していませんでした。執筆時は講演をしたり、小説に対してインタビューを受けたりとかしたことなかったですし。だから、小説で書いていたことに、現実が同意していくような感じで。それが良かったのか悪かったのか」

西南学院大学で4月25日、芥川賞受賞記念講演会(西南学院大主催、読売新聞社共催)が開かれ、同じく芥川賞作家・平野啓一郎さんと対談されました。その中で、鈴木さんのキャリアプランとしては3作目で芥川賞を受賞する予定だったとおっしゃっていました。それは、つまり『携帯遺産』に賭けていたということなのでしょうか。

「そうですね。僕としては『携帯遺産』は自信作です。『ゲーテ』は良い作品だと思っていたけれど、純文学というよりエンタメっぽさの方が強くて。反対に『携帯遺産』は、すごく文学的で、僕の方向性を押し出していたと思います。それに『ゲーテ』を雑誌で出したとき、編集者の反応的に芥川を取れる感じではなかったんですよ。初期3部作というからには、そのどれかで芥川を取っていた方が良いと思っていたし、現実的な問題として取らなければこの先まずいという感覚があったので」

自信作であるという本作は6月6日、朝日新聞出版社より単行本として発行されます。

「これはもう大傑作です。僕がどうこうではなくて、大島依提亜さんの装丁を見るために、みんな買って欲しいですね。人生最高の1冊だと思います」

 

後編では、東日本大震災での被災経験や読書に費やしたコロナ禍など、鈴木さん本人に焦点を当てたインタビューをお届けします。

 

参考記事:

・5月7日付 朝日新聞Thinkキャンパス 「芥川賞作家・鈴木結生さんは西南学院大の大学院生 『大学で重要なのは図書館』【前編】」 https://www.asahi.com/thinkcampus/article-120343/

・5月3日付 読売新聞オンライン 「芥川賞作家の鈴木結生さん『あらゆる知を1冊の本に詰め込みたい』…受賞後第1作『信仰告白のような作品』」 https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20250503-OYTNT50037/

・4月26日付 読売新聞オンライン 「芥川賞の西南学院大学院生・鈴木結生さん『地力をつけるため短編を書いていきたい』…平野啓一郎さんと対談」 https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20250426-OYTNT50022/

・3月29日付 朝日新聞デジタル 「(好書好日 本と出会う 鈴木結生さんに聞く:下)『ゲーテはすべてを言った』」 https://www.asahi.com/articles/DA3S16180367.html

・3月25日付 読売新聞デジタル 「[文芸月評]『創作とは』 問題意識を深化 芥川賞作家 今後の決意示す」 https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/articles/20250324-OYT8T50135/

・3月22日付 朝日新聞デジタル 「(好書好日 本と出会う 鈴木結生さんに聞く:上)『ゲーテはすべてを言った』」 https://www.asahi.com/articles/DA3S16174766.html

・3月7日付 読売新聞デジタル 「鈴木結生さん 新芥川賞作家、小学1年生のとき読んだのは聖書だった」 https://www.yomiuri.co.jp/culture/book/interviews/20250303-OYT1T50065/

・2月8日付 読売新聞オンライン 「芥川賞受賞の鈴木結生さん、あえて苦手なゲーテを選んで…『文学研究と創作のあわいを描きたかった』」 https://www.yomiuri.co.jp/local/kyushu/news/20250208-OYTNT50072/

・1月26日付 日経電子版 「芥川賞の鈴木結生『ゲーテ先生には申し訳ない気持ち』」 https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUD209XD0Q5A120C2000000/

・1月23日付 朝日新聞デジタル 「(天声人語)ゲーテはすべてを言った」 https://www.asahi.com/articles/DA3S16132612.html

・1月16日付 朝日新聞デジタル 「(ひと)鈴木結生さん 「ゲーテはすべてを言った」で第172回芥川賞に決まった」 https://www.asahi.com/articles/DA3S16127089.html

 

参考文献:

・『人にはどれほどの本がいるか』,鈴木結生,2024年3月18日,小説トリッパー2024年春季号,朝日新聞出版

・『ゲーテはすべてを言った』,鈴木結生,2025年1月15日,朝日新聞出版

・『携帯遺産』,鈴木結生,2025年3月17日,小説トリッパー2025年春季号,朝日新聞出版

・『灯台へ』,ヴァージニア・ウルフ,鴻巣友季子・訳,2024年9月30日,新潮文庫