150年前の今日、樺太千島交換条約が結ばれました。この条約は日本が樺太の権利を一切放棄し、当時ロシアの領土だった千島列島の18島と交換するという内容でした。社会科の授業で習った人も多いのではないでしょうか。現在の北方領土問題も歴史をたどると様々な条約が関わっています。北方領土の歴史について調べました。
北方領土とは択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島の総称です。第二次世界大戦末から現在までロシアが不法に占領し続けています。日本固有の領土ですが、渡航自粛の要請が出ているため自由に行き来することは出来ません。
北方領土や千島列島は日本人が300年以上前に開拓した歴史があります。しかし、江戸時代に樺太や北方領土でロシアとの揉め事が頻発したため、1855年に日露和親条約を結び、千島列島のウルップ島と択捉島の間で国境を定めました。また樺太は両国民の混住の地と決められました。その後、樺太には南下政策により多くのロシア人が移り住みました。そして日本政府も北海道の開拓に力を注ぐ方針だったため、1875年の樺太千島交換条約で樺太を放棄し、北方領土の先に広がる千島列島を手に入れました。
その後、1904年に勃発した日露戦争に勝利した日本は、樺太の南半分を手に入れました。第二次世界大戦が始まっている41年には日本とソ連はお互いの領土は侵略しないとする日ソ中立条約を結びました。しかし、終戦間際にソ連は条約を無視し、南樺太や千島列島を侵攻しました。島民は強制退去を強いられ、船の航行もできなくなりました。今も続く不法占拠はここから始まったのです。日本が戦後に結んだサンフランシスコ平和条約では、南樺太と千島列島を放棄しましたが、放棄した千島列島の中には四島は含まれていません。
現在、北方領土で一番大きな面積の択捉島はロシア人の観光地となっています。ウクライナ侵攻による各国からの制裁の影響で海外旅行がしづらくなったため、極東の僻地として注目を浴びているそうです。しかし、太平洋戦争末期には四島合わせて約1万7千人もの日本人が住み、元島民たちにとっては生まれ育った故郷です。元島民の高齢化が進んでいく今、一人一人が領土問題の意識を高めていく必要があると感じます。
筆者は不法に占領されている他の島々の歴史についても調べてみようと思っています。
参考記事:
2月7日付 朝日新聞デジタル 戦後80年の「北方領土の日」 元島民の平均年齢は89歳超に(https://www.asahi.com/articles/AST2725G8T27IIPE006M.html)