「大学全入学時代」と言われる現代。かつては、エリートだった大卒も今では「あたりまえ」のこととなってきました。進む大学を選ばなければ、希望するすべての人が入学できるのです。しかし、依然として国公立やMARCH・関関同立と呼ばれる私立大学を中心に競争が激しい現状もあります。そんな時代に学生であるからこそ思う大学の在り方について考えていきます。
まず考えたいのが、大学の教育システムです。世間で受け止められているイメージとして、「自分の好きなことを学べる」というものがあります。確かに、それまでの義務教育や中等教育での学びとは異なり、学生には選択の自由が与えられています。しかし、実際は希望した講義をすべて受けられる訳ではありません。抽選であったり、入学年度・学年・専攻によって受講資格に差があったり、これらのすべてを考慮しなければなりません。卒業するためには単位が必要ですから望まない授業を結果的に受講することにもなります。高い授業料を支払っているのに関わらず、これが大学の当たり前なのです。しかし、こういった実態は、入学して自身で経験しなければ知ることができません。
また、大学の規模も考え直すべき点と言えます。筆者の所属する大学はいわゆる「マンモス校」と呼ばれ、3キャンパスを有し、全国各地から学生が集まってきます。ある講義の受講人数は約400人。教室いっぱいに学生が埋まり、講義を受ける、「一対多」の構造です。400人もいれば、受講に対する考え方も様々です。真剣に学びたい学生にとってそこは最良の環境とは言えません。
他にも、昼食や公共交通機関といった問題があります。短い昼休みに集中する昼食ですが、学生の数を考えると食堂や座席、スタッフの数は十分とは言えず、時間内に食事を摂ることは容易ではありません。バスに関してもインバウンド需要の高まりも相まって、定刻通りとはいきません。需要が供給を大きく上回ってしまっているのです。
こういった大学について、4月16日付の朝日新聞朝刊では、一部私大の講義レベルは義務教育のようだと報じました。大学が就職予備校と批判されるゆえんはここにあるのかも知れません。また、学生・教員数に応じて分配されている私学助成金については見直しが検討されているとも報じていました。助成額を増やすためには、学生数が問われます。そのために大学側は、高校生向けイベントや何度でも受けられる受験制度を整えてきました。
近年の大学、特に関西地域の私大を中心とした商業的で人気集めのような広報の仕方は理想的ではありません。学生が自身の興味を探求できる学びの場としての役割を再認識する必要があるでしょう。今後少子化により世代人口が減少していきます。そんな将来を見据え、どのような大学の在り方が求められているのか検討していかなければなりません。
参考資料
16日付 朝日新聞朝刊 (大阪13版)3面 『一部の私大授業「義務教育のようだ」』